赤頭巾ちゃん気をつけて
優しくなりたくなる物語
「人生という兵学校」の大先輩に教えられて、『赤頭巾ちゃん気をつけて』を初めて読んだのが、多分1年半ぐらい前。それから何回読んだかわかりません。相当猛烈、好きな作品です。60年代の学生運動とか、それに伴う東大入試の中止とか、はっきりいって全然わからないこと、言葉(サンパ? ミンセー?)がたくさんあるんですが、すらすらすらーっと読めてしまいます。
著者は庄司薫。主人公の名前は庄司薫。つまり、作中の人物の独白みたいな感じで物語は進んでいきます。こういう言い方はイヤなんですが、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』に似ています。でもそれは物語の進め方(語り方?)だけです。まあようするに主人公の薫くんが「とてもとってもついていた」1日について、読み手に語りかける形で進んでいくわけです。
読んでいる間、むちゃくちゃ仲のいい友達の「ちょっと恥ずかしいけど聞いてくれよ」的な話を聞いているようでした。なんせ心底うまくいって欲しいなぁ、と思うわけです、この物語と主人公、庄司薫くんには。この後、『白鳥の歌なんか聞こえない』『さよなら快傑黒頭巾』『ぼくの大好きな青髭』と続くわけですが*1、その友人感覚はずっと消えることはありませんでした。で、読み終わった後、話を聞いてあげていたこっちの方がなぜか元気づけられているという、本当に親密な友達みたいな物語でした。
多くの優れた物語と同様、読み終わった後しばらくは薫くんの口調をまねしたくてたまりませんでした、というかまねしてます、今でも。いやーマイッタマイッタ。村上春樹を読み終わったあと、おもわず「やれやれ」と言いたくなるのと同じです。「やれやれ」はあまり口に出さない方がいい気がしますが、「マイッタマイッタ」は言ってもいいような気がします。そういえば村上春樹はあまり日本の作家を読んでいないと公言していますが、庄司薫さんはその数少ない例外の一人のようです。どこかでそんなことを言ってたような気がします。っていうか絶対影響受けていると思います。(『少年カフカ』に書かれていました)
「村上春樹と庄司薫の一致」という記事で川田宇一郎さんという評論家(?)の記事が紹介されています。僕は川田さんの原文を読んでいませんが、さすがにここまで深読みされると、マイッタマイッタ(もしくは、やれやれ)、となってしまいますが、まあでもどこかでつながっているのは間違いないでしょうね。なので村上春樹好きなら気に入るのではないでしょうか。そうでなくとも、思春期を引きずっているとしたら、心の奥底にぐぅーっとくるものがあると思います。
赤頭巾ちゃん気をつけて
冒頭の文章がすごく素敵なのですが、若い人はこんな状況の緊張感を想像できないかもしれませんね。