耳の家みみ子
堕ち続けた先のカタルシス

心が揺さぶられたり、身体にまで影響があり、そして、人生の彩りを鮮やかにしてくれる。そんな作品をたくさん読んだり、観たり、聴いたりしてきましたが、そういう作品の多くは「人生を豊かにする」といったような、抽象的な効用だけでなく、「へぇーそうなんだ」といったような、実用的知識を教えてくれることが多いです。パスタのゆで方とか、フォーク並びの素晴らしさとか。「耳の家みみ子」で僕が得た知識は、日本が生んだ世界最高の博奕「手ホンビキ」です。Googleで検索するといろんな情報を得られますが、まあ素人衆は手を出せない博奕ですね。遊びでいいからやってみたいですが、なんか遊びですらやばいという話です。日本にカジノができたら、ラスベガスの真似だけじゃなく、こういった日本独自の文化も体験できれば嬉しいと思いますです。

さて、この物語、「ホンビキ」の息詰まる攻防ももちろんおもしろいのですが、最大の魅力は「(自覚的に)堕ちていく」人々です。

主人公「河野宏」は、学生時代に「手ホンビキ」のコンビ技で金を稼いでいた。ある日、いかさまを知らない大工の棟梁が、宏を見込んで「本筋の場」に誘う。そこで出会った女胴師「みみ子」に完敗した宏は、徐々に賭博の世界から遠のき、気がつけば人生の穏やかな波に乗って、エリート銀行マンへの道を歩いている。ある日、仕事仲間と入ったバーでみみ子と再会し、くすぶっていた勝負事への想いが再燃する。再会をきっかけに、博奕の、ホンビキの熱さを思い出し、あっという間に博奕の世界にのめり込んでいき、借金を重ねる。みみ子は自分の店の資金のため、河野は借金の返済のため、二人は協力して最後のホンビキに賭ける──。

序盤に展開される、河野のイカサマ博奕を通して、ホンビキのルール、セオリーなどが簡単に説明されるのですが、ほんとこの博奕は究極ですね。親が選んだ数字を当てる、というシンプルで運の余地が無いルール。複雑な賭け方で決まる配当。とても単純で、先の読めない勝負です。と、すぐに賭事の方に目がいってしまいますが、この賭事を通じて描かれる人間の思考パターンは相当おもしろい。人はなかなか根拠の無い理由を受け入れられない。それがよくわかります。理由がないと不安でしょうがない。ひとつの理由さえあれば、それを元にいろいろ推論を進めて、自分が正しい道に向かっていると信じられるんですね。まあこれは賭事大好きな人は痛いほどわかると思います。ほんとに重要なのは、最初の理由を信じて補正していくことではなく、最初の理由に捕らわれず複数の理由(可能性)を見つけていくことなのに、なかなかそれはできないんですよね。河野はみみ子との初対決のとき、完全に翻弄されるのですが、その時の河野の思考パターンはすごくわかります。一見反省しているようですが「自分の推論ならば、本当はこっちだった」という風に、本当は読めていたのに、選択を間違えた、と判断しているんですね。つまり、自分の間違いを認めていない。こういうことって、賭事だけでなく、日常生活でも当てはまることが多いと思います。……気をつけねば。

河野は「ファイト・クラブ」のエドワード・ノートンのように破滅的に堕ちていきます。仕事をさぼったり、だらしない身なりになったりはしませんが、その内面はそっくりです。堕ちる快感とでもいいましょうか、冷静に堕ちる自分を観察し、このままいくとどうなるのかわかっていながら、自分の行動を止めようとはしないのです。独り芝居のナレーションの様に、ただただ傍観。あれほど夢見たみみ子の誘いも、目の前の借金返済のため、というよりも「ホンビキの勝負をしたい」という単純で強烈な欲望が勝ってしまいます。

つまりこういうことです。

ギャンブルは負けがこんでいるときの方が、カッカと燃えておもしろいという。

耳の家みみ子 – ギャンブル党狼派

僕も学生時代にパチスロにはまっていましたが、朝からずっと勝ち続けたときよりも、負けを挽回しているときが、一番テンションが高かったです。まああれは開き直ってしまったり、いろいろな要因がからんでいたので全く同じとは言えませんけれど。

こうして自覚的に堕ち続けていく河野ですが、みみ子の方は計算高く堕ちていきます。冷静な自分が、堕ちて行くのを止めるわけではなく、勝ち上がるための方法を模索し、的確なアドバイスをしている感じですね。ある種確信的に堕ちて、力をため込んでいるというか。バネみたいなもんです。やはり女性の方が一枚上手ということですね(笑)。

最後の最後に、河野はみみ子に勝負を挑むのですが、この時のみみ子は猛烈にかっこいいですね。完全に手玉に取ります。そして、阿佐田哲也さんの終らせ方。見事すぎます。ぴしゃっと終らせながらも、心地いい余韻を残す。いくら物語がおもしろくても、ラストが陳腐だと一気に興ざめしてしまいますが、この人の物語では往々にして逆のパターンが起こります。物語を淡々と読ませて、ラストでガツンとくるんですね。そんなわけで、読み直すと格段に心に響く物語であるということに気付くことができます。もうはっきりいって、麻薬です。特にこういった「堕ちる」物語の場合、主人公を救いのない状況に置くことが多いですが、河野とみみ子は完全に救われないまでも、ある部分では救われています。みみ子のラストのセリフは、ちょっとした告白もあっておもわず微笑んでしまいます。この後二人がどうなるかは知る術はありませんが、読者はきっと、穏やかな日々を送るみみ子と、ホンビキとみみ子への想いをくすぶらせながら、エリート街道に戻っていく河野を想像することになると思います。

人の心を読むなんて簡単にはできないし、絶対に誰にもわからない類いのことだと思うのですが、阿佐田哲也さんの物語には確実に人の心の真実が含まれていると思います。

2006年01月22日(日)

読書 /

Text by pushman