人間競馬
自分の人生を選ぶタイミング

生きていると何かにすがりつきたくなる時が必ずやって来ます。いくら頑張ったところで最善の結果を出してくれる保証なんてありませんからね。占いやジンクスなんてものがあるのも、最後の根拠無き自信を持つための手段なのでしょう。そうしたもの全てひっくるめて「運」だと思います。

ギャンブルにはどうしても「運」という言葉がついて回ります。信じている人にも、そうでない人にも。「『運』なんて無い。流れがあるだけだ」という人もいますが、とにかくなんだかよくわからない「運」だか「流れ」だかを読める人間というのは確実に存在しますし、それができない人はギャンブルで勝ち続けることはできないでしょう。

この物語の主人公「タカヒカリ」は、相撲の才能には恵まれませんでしたが、ギャンブルの才能、運を読む才能に恵まれた男です。その才能を見込まれたタカヒカリは、廃業と同時に相撲部屋の後援者であるカミ旦に「私設秘書」として雇われます。私設秘書といっても実際はカミ旦の代わりにギャンブルをする「代打ち」。他の私設秘書と同様、タカヒカリはカミ旦のためにひたすら麻雀を打ち続けます。最初の頃は、好きなギャンブルで生活していく楽しさと、関取時代の苦しい修業から開放された嬉しさと相まって、一つの悟りを開いたような境地にまで至ります。世の中なんてのんきなものだな、と。それは確かに事実であるような気がします。ですが、そんな状態はいつまでも続かないのも事実です。徐々に自分の運を読むことができなくなっていくタカヒカリは、カミ旦の信用も失い放り出され、なんの恩義もない親分のために麻雀を打ち続ける日々を過ごすことになります。

阿佐田哲也さんの物語には、一貫した優しさが見えます。それは社会からはみ出した者への優しさ、といったような「ある特定の人達」への優しさではなくて、全ての人間に対する優しさのようです。この物語もそうした優しさに溢れていて、その優しさのせいかタカヒカリがのんきに麻雀の代打ちで生活し、千倉はるみという恋人ができても「そんなうまいこといくか!」なんて思いません。「いいなぁ」とは思いますけど(笑)。また千倉はるみの描き方が、なんというかあっさりしているのにちゃんと魅力が伝わるんですよね。しかもちょっとしか出てこない。なのに魅力的。とても不思議。まあ少し僕の妄想力も加わっているのかもしれませんが(笑)。タカヒカリと千倉はるみの淡々とした会話は、言葉は数だけではなく質も大事なんだということを思い出させてくれます。

初めてこの物語を読んだのは昨年末ぐらいだったと思いますが、感想を書こうと思ってもなかなか思うように書けなかったり、時間が空いてしまって細かい内容を忘れたりで、何度も読み直しました。ほんとに読めば読むほど味わいのある物語です。2、3回目は特にそう思いませんでしたが、最後に読み返した時(それでも1ヶ月ぐらい前ですが)は鳥肌が立ちましたね。

私設秘書の仕事にも慣れたころに出会う千倉はるみに急速に魅かれたタカヒカリは、「ギャンブルに恋愛はご法度」というカミ旦に背き、千倉はるみと一緒になることを考えます。しかし、カミ旦の説得により簡単に諦めるタカヒカリ。その夜のタカヒカリの行為をたった2行で描写することで、タカヒカリが失ったものの大きさが、読者にはわかります。でも、タカヒカリはそのことに気付いていないんですよね。切なすぎます。そして物語の終わり。3ページ程なんですが……すごく濃密な空気を感じられます。何度読んでもずしんと響きます。

大勝したタカヒカリは束の間の自由を満喫しようと街に出て、はるみと再会します。平凡な結婚生活を楽しんでるわけではないけれど、特に不満もなくそれなりに幸せそうに生活しているはるみ。食事を楽しみ、再会を喜ぶ二人ですが、二人の環境は随分違うものになっています。そこで交わされる、本当はずっと仲良く一緒に生きていけるはずだった二人の会話は、たわいもないのにぐっときます。そして、ダンスをしながら千倉はるみにかける言葉。多分この時、タカヒカリは今までで一番率直な気持ちを出せたのではないかと思います。そして、一番強かった。自分のための生き方を見失っているタカヒカリが、自分の生き方を選ぶことの象徴である千倉はるみを思って、クスリにも運にも頼らず、自分の力だけで心の底から祝福し、搾り出した言葉でした。ハードボイルドで相当猛烈かっこいいです。

運にすがれる時にすがれるだけすがっておいて、振り落とされる前に自分から降りることができる、稀有な才能を持っていたタカヒカリ。すっかりその才能を失った彼が、最後に感じたかすかな気配。すがる時なのか、降りる時なのか、まだ判断できないようですが、その予感は本物であることを願わずにはいられません。

2006年05月28日(日)

読書 /

Text by pushman