東京飄然
笑える力抜きすぎエッセイ
僕は町田康が大好きなのですが、村上春樹の場合と違い、新刊を無条件に即購入してしまうほどではありません。ところがここ最近は、目にしたら必ず買っています。『東京飄然』も、発売を知らずに本屋に行って「お!」って感じで手に取り表紙をめくり、あっという間にレジを目指して歩いていました。おそらくこの人は「つかみ」がとても巧いんだと思います。
旅に出たくなった。なぜか。理由などない。風邪に誘われ花に誘われ、一壺を携えて飄然と歩いてみたくなったのだ。
東京飄然
いやいや、旅に出たくなるのはわかるとして、最後の理由「一壺を携えて」ってのが「くっ」とひっかかります。ひっかかるので続きが気になり、読み進めていくと、とても本屋で立ち読みを続けることができない表情になるので、レジに向かうことになると思います。
町田康のエッセイは、小説の文体との線引きがあいまいで、読み進めながら「……エッセイだよな?」と何度も確認しました。なんというか、語り口が独特すぎるので、エッセイ風の小説か、小説風のエッセイかよくわからなくなるのです。まあそんなことどうでもいいですねけどね、おもしろいから。
「飄然とするため」旅に出たとはいえ、町田康のことですのでまったく飄然とできず、というか飄然とすることを目的に旅するなんてまったく飄然とはほど遠いわけで、結局いつものように世間や自分を恨みつつ、ぐだぐだになっています。やはり町田康の文章は、この雰囲気があっていますし、飄然とされたエッセイを書かれても困ります。
しかしこのエッセイは力抜きすぎ。例えば、「上野の街」という回で、東京都美術館で開催されていた「栄光のオランダ・フランドル絵画展」に行くのですが、その時の精神状態はこんなかんじ。
上野は東京都美術館で開催中の「栄光のオランダ・フランドル絵画展」に行くことにした。
といって、栄光のオランダ・フランドル絵画に興味があった訳ではなく、正直に言って、「なにふらんどるんじゃ、こらあ」みたいな状態である。
東京飄然
ただの駄洒落やんかいなと。……駄洒落でもないかな。とにかく文体の勢いも手伝って、力の入らない笑いを誘い、次の瞬間には腹の底から笑いが込み上げてきます。
町田康の魅力の元は、新しくともなんともない、僕らが日常で接していることや考えていることを、真剣な目線でじっくりと観察しているところにあると思います。それを独特の文体とユーモア(駄洒落含む)で包むと、人間の可笑しさと哀しさを表現できてしまう。そんな感じじゃないでしょうか。とにかく、笑いたい人にはおすすめですし、時折思いだし笑いしたい人には、もっとおすすめです。