バクの飼主めざして
多すぎる情報から自分を守る方法序説
庄司薫さん初のエッセイ集『バクの飼主めざして』。書き下ろしではなく、いろいろな新聞や雑誌などに掲載された文章を再編したものです。以前読んだ『狼なんかこわくない』は作家=庄司薫のエッセイではなく、薫くんシリーズの主人公=庄司薫のエッセイのようだと思いましたが、このエッセイは庄司薫=福田章二のエッセイという感じがします。
書いている内容は当然(というべきか迷いますが)同じです。ただ、伝わり方が違う。顕著なのは佐伯彰一さんとの対談で、この対談はちょっと相当おかしいです。
「若さ」というキーワードから始まり、15歳違いの割には読んでいた漫画が同じということがわかり、けっこう楽しそうに対談しているのですが、佐伯彰一さんがガンガン意見を言いだすと、「そういうことって簡単に口にしちゃうともうダメだ」とでもいった感じで、いなすというか「そうですね」といいながらも遠回しに否定したり、とにかく決めつけまいとします。徐々に佐伯さんのいらだちが現れ、「自分に対して……」とか「自分を表現して……」という発言が多い庄司さんに対して、「あなたの場合は、結局いつも自分に戻ってくる」なんて言われています。で、「そうかもしれない(笑)」なんて言っちゃって、大人になった薫くんはこんな感じかな、と思わせる発言たっぷりです。対談ももう完璧に噛み合ってきません。おもしろいです。
エッセイ全体は、庄司薫さんから見た現代(もちろん刊行当時の)の若者の大変さを、ほんとうにいろいろ考えて、「犬死にしないための方法」を提案しています。
現在はインターネットの普及で「情報の大洪水」なんて表現も生ぬるいくらいですが、それって今も昔も変わらないんだなぁ、と思います。庄司薫さん自身もテレビっ子第一世代として、もうあっぷあっぷしていたようですし、この本がでた時も価値観の多様化なんかで大変だったようです。つまり、いつの時代も若者は情報に溺れっぱなしであるということです。単純に考えても絶対的な情報量は昔より今の方が断然多く、その内容も充実していて、いろんな価値観を提示されます。しかも「多用な価値観、考えを認めるべきだ」という価値観が市民権を得ている現在では、新しいものを否定することは許されません。とにかくどれだけ情報が増えようとも、その膨大な情報の中から常に自分に必要な正しい情報を取捨選択し続けなければなりません。誰だって若い頃は情報に溺れてあっぷあっぷしながらやってきたのです。
だから、「いつの時代も若者は大変」だと庄司薫さんは言っているのですが、話はここで終わりません。庄司薫さんが問題にしているのは、「何事にも許容量がある」ということで、60年代後半〜70年代で「もういっぱいいっぱいですよ」と警告しているんですね。なんか単純に昔のエッセイと思って読んでいたのですが、大げさに言えば現在の状況を予言していたと言えるかもしれません。ただの予言者と違うところは、きちんとその時の対応策を考え提案しているところでしょうか。「もうなんかわかんないけど、情報多すぎだー!」となってしまっている人は、読んでみるととても参考になることが書いてあります。
結局、いつの時代も若者はとにかく大変なんだ、ということですね。