エターナル・サンシャイン
捨ててもきれいになるわけではない

喧嘩別れした恋人と仲直りしようと思っていたら、相手は自分に関する記憶を消していた……なんて言われると、哀しいやら切ないやら恥ずかしいやらいろんな感情が渦巻いて、ショック死してしまいそうです。
この物語の主人公は死にこそしませんが、相手と同じく相手に関する記憶を消してしまうことを決断します。

かなり巧妙に構築された物語で、ちらつく伏線がたまりません。設定を知らないと頭の上にたくさんの「?」マークが浮かぶと思います。ただ、仕掛けのわりには物語の流れが普通なので、どうも先が見えてしまってつらいですね。まあ仕掛けも物語の流れもややこしいと見てて疲れると思いますが、ちょっと単純すぎるかなと。
単純で全然問題ないんですけど、その場合はもっと物語自体に魅力が必要だと思います。

人為的に「記憶を消す」というモチーフはよくあると思いますが、消される記憶の描写を描いたものはあまりないのではないでしょうか。そんなもん描こうと思う人の方が少ないと思いますが、脚本家のチャーリー・カウフマンは、『マルコヴィッチの穴』でもあり得ない頭の中を描写してましたね。納得です。

しかし「イヤな記憶は消してしまえ」というのはすごい発想ですね。誰にでも忘れたい記憶はあると思いますが、実際に消すことができたとして、それを実行する人ってどれぐらいいるんでしょう。僕は多分できません。
自分の記憶を消しても他人はそのこと全部ひっくるめて認識しているわけですし。失敗を憶えているからこそ進歩していく可能性がありますが、その見込みすらなくなってしまうのも怖いです。

そこらあたりのことを物語に巧妙に埋め込んでいることに、感想を書いてて気付きました。「そんなに良くはなかったな」という感想を書いているうちに「そんなに悪くないな」と思えると、もう一回観たくなります。繰り返しの鑑賞に耐えられるほどおもしろい映画ではないかもしれませんが、何回も観ることはできそうな気がします。思ったより味わい深い映画なのかもしれません。

エターナル・サンシャイン

自分の記憶ではなく他人の記憶を消せるなら、躊躇なくお願いすると思います。

What’s so bad about feeling good?

Update:

Text by pushman

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