四畳半タイムマシンブルース
腐れ大学生の気軽な時間旅行
誰だって一度は「もしも時間旅行ができたら」と考えたことがあるはず。友達との軽い話題として、あるいは切実な願いとして。
切実な願いとして時間旅行を夢想する人の大半は、叶わなかった恋を成就させるためにありとあらゆる手段を尽くしたいのだろう。もしくは、若さゆえ暴走したことにしたい情熱的な言動、恥ずかしい言動などを、全力で無かったことにしたいはず。
壊してしまったクーラーのリモコンを過去から取ってきて現在を快適に過ごす、なんてしょうもないことを目的に時間旅行をするのは、腐れ大学生しかいない。
そして、そんな阿呆な腐れ大学生を描くのは、森見登美彦しかいない。
『ペンギン・ハイウェイ』で新境地を切り開いたかと思ったら、それまで描いていた世界と新境地との狭間でモジモジし、ぽんぽこ仮面に化かされ、『熱帯』の世界に迷い込み、無数の傷を刻みながらなんとか生還した……ように見える登美彦氏。今作は勝手知ったる世界を懐かしみながら、楽しみながら生み出されたようで、『熱帯』の隅々から滲み出てしまっていた苦しみはまったく感じなかった。
もしも登美彦氏がずっと腐れ大学生を描き続けていたら、読む方だってしんどくなっていたに違いない。でも、いくつかの新境地を開拓した登美彦氏が再訪した四畳半世界は、読み手としてもうれし恥ずかし懐かしく、あたたかい気持ちで楽しむことができた。
懐かしいキャラクター達は相変わらずだけど、「なんとしても有意義な学生生活を送らねば!」という焦燥感は無くなり、その切羽詰まってなさが、久しぶりの四畳半世界を楽しみやすくしてくれている気がする。相変わらず腐れているけれど、そこまで腐れてはいない大人の癖れ大学生、というか。
そんなわけで、読後感は大変心地よい。心底気楽に読めて、人生の滋養になりそうな些細なおかしみがたくさん描かれているので、一度読んだらどこからでも読み直して楽しめる気がする。
昔からの読者へのご褒美みたいなものも沢山あって、中でも作中で生み出される「現実に存在する作品」は、未読の人ならきっと読みたくなるはず。
この物語で初めて腐れ大学生を知り、その生き様を楽しんだ人は、『四畳半神話大系』も読むべきである。小津がなぜ妖怪と呼ばれ、あれほど警戒されるのかわかるし、明石さんの可愛さもより理解できる。良いことしかない。
ここまで書いて、映画「サマータイムマシン・ブルース」を数年前に録画していたことを思い出した。
登美彦氏が原案をどこまでいじくったのか楽しみだったけれど、『四畳半タイムマシンブルース』から登美彦氏的腐れ大学生成分をごそっと抜き取ったような作品で、上田誠と森見登美彦の共通点と根本的な違いが見えた……気がする。
それはともかく、どちらもおもしろい。片方を気に入ったらもう片方も気にいるはず。はっきり言って、登場人物が違うだけで2つの物語はほぼ同じだ。
「サマータイムマシン・ブルース」の登場人物達は、根明で屈託がない。つまり、腐れ大学生ではない。健全な学生生活を送っているとは言い難いけれど、自分たちなりに充実した学生生活をエンジョイしている気配がぷんぷんする。
「腐れ大学生」という言葉にピンとこないなら、この物語から楽しんだほうがいいかもしれない。映像の助けもあって、物語の構造のおもしろさがわかりやすいし。
登美彦氏が描く腐れ大学生物語が好きなら、そして「俺もかつては腐れ大学生だった」「今だって腐れ大学生の気持ちを失えない!」と自負するなら、『四畳半タイムマシンブルース』から楽しむしかない。
個々のキャラクターは完成されているし、どういう人間かもほぼ分かっているので、数々の愚かしい行為をより楽しめるだろう。明石さんはひたすらかわいいし。
その代償として、自分のことを笑っているような気がしてくるし、過去の腐れた行いが想起されて悶絶することは必定だが、腐れ大学生として生きてきた自分が原因なのだから、それはもう、やむを得ぬ!のである。
四畳半タイムマシンブルース
終始にやにやしながら読み進めて、読後感はすっきり爽やかさ。腐れ大学生が唾棄すべきと思いながら、憧れ求めてやまない物語が、ここにある。『四畳半神話大系』ほどこじらせてはいないので、腐れ大学生物語の入門にぴったり。
購入時の価格 ¥1,650
サマータイムマシン・ブルース
森見作品の映像化される際に関わることが多い上田誠氏の物語。「森見→上田」ではなく「上田→森見」という、今までとは逆パターンでも素晴らしい相乗効果。二人の相性の良さがよくわかる。