国境を越えたHARUKIの世界
COURRiER Japon(クーリエ・ジャポン)創刊号

久しぶりに雑誌を買いました。『COURRiER Japon』です。世界中の雑誌を再編集、簡単に言えば寄せ集めた、正に「雑誌」ってかんじの雑誌です。発祥はフランスのようですね。なぜこの雑誌を買ったのかというと「村上春樹」のインタビューが掲載されていることを知ったからです。まあ、この雑誌自体の感想も書きたいのですが、まずは貴重なNYタイムズのインタビューを読んだ感想をメモしておこうと思います。

インタビューといっても、記者の考察の合間に春樹さんの言葉が挿入されるという構成で、とてもさらっと読めます。日本のメディアにはほとんど顔を出さない春樹さんですが、海外のメディアだからといって特に目新しい発言はないですね。編集されているのかもしれませんけど。まあエッセイなんかで何度か発言されている内容とほぼ同じです。記者さんの合間のコメントも別段鋭いわけでも無いと思いますが、日本人以外の考察はちょっと新鮮です。その中に日本の文芸評論家のコメントも紹介されているのですが、まあしかしえらそうな連中ですね(笑)。あまりつっこむと不快な気持ちになるので書きませんけど。日本語の心配とかしてますが、読者をバカにするんじゃねぇ! おっと「書きません」と書いたそばから書いちゃいました。すみません。

COURRiER Japon(クーリエ・ジャポン)創刊号『国境を越えたHARUKIの世界』

気を取り直して。このインタビューの後に、ドイツ、中国、韓国の「村上春樹論」があるのですが、これはなかなか、おもしろいです。一番共感できたのはドイツのこの記事。

悲しさを感じているとき、人は村上春樹の小説を読むことができるのだろうか?

COURRiER Japon|「ディー・ツァイト」翻訳記事

なかなか興味深い問い掛けです。その後の分析は「ちょっと違うんじゃないかなぁ」と思いながらも「ふむふむ」と頷ける内容でした。最初の問い掛けに明確な回答こそしていませんが、ぐっとくる回答です。

村上春樹作品を読めば、まだ悲しみを味わったことのない人でさえも、そうした悲しみを味わうことができる。

COURRiER Japon|「ディー・ツァイト」翻訳記事

確かに。「実生活で体験したことのない悲しみを感じる」というのはありますね。もちろんあくまで感覚ですけど。

最初の問い掛けの回答ですが、僕の経験から言うと……読めないですね。心がえぐられそうになります。ただ、思い出すことはあります。春樹さんが書いたいろいろな物語を。読むとつらくなるだろうけど自然と思い出してしまい、頭の中で読み返している感じでしょうか。それでどうなるって、別にいやされたり元気になるわけではありません。ただ「こういうこともあるな」と思うだけです。そして、ゆっくりと普段の自分に戻れます。と、書いてみてドイツの記事の違和感を説明できそうです。

村上は、抵抗することなくしてどのように生きていくことができるのか、という可能性を探求しているのである。

COURRiER Japon|「ディー・ツァイト」翻訳記事

これ、わかるんですが、ちょっとちゃうと思います。受け入れることと、抵抗しないことって、別の話ですよね。違いますか。僕は違うと思います。村上作品の登場人物は、ある出来事が自分に起きたとき、それを一旦受け入れたうえで必死に生きていると思うんですよね。まあ細かい表現の違い、それこそ翻訳の過程ですり落ちてしまったのかもしれませんが。

韓国「京郷新聞」の記事もなかなかおもしろかったです。立派な権威をお持ちの文芸評論家様なんかより、よほど本質を理解されてると思います。

ストーリー展開は速く、文章も軽やかだ。この軽い文章の中から評論家たちは重い意味を絞りだそうと躍起になる。しかし、読者は評論に頼らなくても、彼が隠した暗号を解読してしまうのだ。

COURRiER Japon|「京郷新聞」翻訳記事

そう。正にその通りだと思います。暗号化されてるかどうかはともかく、ある文章から何かを読み取るのは個人によって千差万別ですよね、当然。それなのに何かの意味をがっちり固定しようとすることに、僕は非常に違和感を感じるわけです。また「日本語の美しさ」って、別にややこしい言い回しをすることではないでしょう。わかりやすい言葉の中に、様々な意味を含めることって誰でもできることではありません。まあ結局文句たらたら垂れ流してしまいましたが、僕が言いたいのは、基本的に読者と作品の関係は一対一で、それに対して「異議有り」なんてことを小難しい理屈をもって説明し、作品と作品を支持している人を下に見ていることが気に入らないんですよ。

……いかんいかん。こんなことを書きたかったわけではないのです。

で、このインタビューで一番驚いたのは、映画化の話ですね。かたくなに拒んできた作品の映画化ですが*1、ウディ・アレンやデヴィット・リンチが監督なら、なんと無条件で快諾するそうです。デヴィッド・リンチは特別好きではありませんが、ウディ・アレンは相当猛烈に好きな監督ですので、ぜひ実現してもらいたいです。でもやっぱり、ウディ・アレンと村上春樹は作風が合わなさそうですね。村上作品の主人公がやたら愚痴っぽくなったりしたら、ちょっとヤです。やたら精神分析医に通ったりして。短編なら合うかもしれませんね。意外と「100%の女の子」なんていいかも。ウディ・アレンは不器用というか、煮え切らない男の恋愛映画巧いですから。

この記事を読んで、やはり村上春樹を同時代に生きていることって、かなりの幸運だと思いました。ということで、村上春樹をベストセラー作家だから、という理由で未読の方は「COURRiER Japon」をちょっと立ち読みでもしてみてください。日本以外で指示されてるからすごいわけではないですが、やはり言葉の壁を越えて何かを伝えてられていることは、単純にすごいと思いますよ。

COURRiER Japon 創刊号

What’s so bad about feeling good?

Update:

Text by pushman

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