ハスラー
ビリヤードの魅力の全てを伝える傑作

ビリヤード映画といえば「ハスラー2」の方が広く知られていると思いますが、個人的にはその前日譚である「ハスラー」が大好きです。初めて見たときは9ボール、8ボールのルールしか知らなかったので、ストレートプール(14.1)のルールに「???」となりましたが、ルールを知るとそのゲームのシンプルさ(1球1点)、かっこよさ(全てコールショット)、おもしろさ(セーフティ合戦)に興奮しました。そして、軽佻浮薄なトム・クルーズよりも、ポール・ニューマンとジャッキー・グリーソンの渋さにしびれ、物語の重さの違いに驚きました。

超要約すると、「自信に満ちた主人公が強敵に敗れ挫折し、傷つき、やがて更なる強さを獲得して再生する……」という物語でしょうか。ライバルと強い絆で結ばれたり、再生するために多大な犠牲を求められるのもお約束。こういうお話よくありますが、僕は嫌いじゃないです。やはり一所懸命な人が報われると嬉しいし、努力が報われる様は前向きな気持ちの後ろ盾になってくれます。現実はそう簡単に努力が報われる訳ではないですが、絶対に報われないわけではありませんからね。

出てくる男は良く言えばアウトロー、悪く言えば駄目人間ばかり。エディは生まれついてのハスラーだし、ファッツは紳士っぽいですが、裏の世界の影がちらついています。バードは言うまでもなく裏社会の人間。はっきり言って、実際の人生においてはあまり関わり合いたくない方々です。でも、自分の腕一本で生きている強さと渋さには、男子たるもの憧れないわけにはいきません。

まず、ポール・ニューマン。全然まったく褒められたものではありませんが、くわえ煙草で球を撞く姿はやはりかっこいい*1。球撞きをなめている輩には手加減できず叩きのめしてしまうところが熱い*2。自分が一番だと信じている子どもみたいな破滅型の人間特有のこだわりなのか、自分や自分の好きなものがコケにされることが我慢できないんですね。
その若さ、熱さゆえに球を撞けなくなるはめになりますが、その時ずっと支えてくれるサラに球撞きの魅力を熱く静かに語るシーンは、ビリヤードを好きな人にはたまらないと思います。ちょっと話がそれますが、「ハスラー2」のエディは“大人”になっていて、トム・クルーズの中に若き日の自分を見い出し、熱さを取り戻すわけですね。そういう繋がりもよくできています。

そして、観るたびに魅力を増すのがジャッキー・グリーソン。“ミネソタ・ファッツ”というニックネームからわかるように、にこやかな太っちょなんですが、球を撞く姿、身のこなし、全てが渋い。かっこいい。そして常にクールな姿勢を維持できる精神面の頑強さにはとても憧れます。
この二人が登場するシーンはもちろん球撞き勝負。自分の腕を信じる二人が交わす、短いながらも味のある会話がクールです。

初戦、オープニングセーフティを決めるエディ。狙った通りのショットが成功し、自信満々でファッツに軽口を叩きます。

理想的なファーストショットを決めたエディ
Eddie: I didn’t leave you much.

しかしファッツはクラスター*3を一瞥してさらっと返します。

ミネソタファッツのファーストショット
Fats: You left enough…… Six in the corner.

そしておもむろにハードショットでクラスターを割りつつコーナーに6番をポケットします。苦々しげな表情でテーブルから離れるエディは気合いを入れてファッツのプレーを注視し、改めてその技術の高さを認め、決して侮ってはいけない相手だと再確認します。

再戦時は逆にファッツがオープニングセーフティ。エディは入念に準備をしながらバードに問いかけます。

ファーストショットに向けて準備をするエディ
Eddie: How should I play that one, Bert? Play it safe? That’s the way you always told me to play it, safe. Play the percentage.

ポケットをコールするエディ
Eddie: Well here we go, fast and loose. One ball, corner pocket.

エディのファーストショット
Eddie: Yeah, percentage players die broke too, don’t they, Bert?

そして、キックショットでクラスターを割り、1番をコーナーに叩き込んで、バードに一言。

ファーストショットを決めたエディ
Eddie: How can I lose?

もうこの一連の流れがかっこ良すぎで、鳥肌が立ちます。

初戦で自らの勝利の予感に酔いしれ敗北への道を突っ走ったエディですが、再戦時はただひたすらに自分の能力を出し続ける事に注力します。その決意を読み取り、潔く敗北を認めるファッツ。互角の二人だからこそ、勝負への思いの強さが決定力に繋がる訳です。そしてそれを的確に見抜く力があるファッツは、勝負師としてエディよりも一枚上手な気がします。しかも嫌み無く相手を讃え、どこか暖かみを感じるんですよね。ということで、見れば見る程ファッツが渋く見えてくる訳です。

こうしたひりひりする勝負と会話を経て、エディとファッツは互いを認め合うことができた訳です。本物は本物を知る、といった感じでしょうか。
しかし、本物だからといって力に屈する事がないかというと、そうではないのが現実の厳しい所。高すぎる代償を払って勝利をつかみ取ったエディですが、金と暴力という力を持つバードから逃れるために、ビリヤードの世界からの引退を余儀なくされます。ある種の力を持ってしまえば、勝者にはなれずとも負けることは無いのです。そしてその力をもっとも効果的に使えるバードも、形は違えど本物の勝負師なんですね。

このやりとりの後、ファッツの表情がカットインするのですが、その物憂げな表情がファッツの心情を表していて、たまらないです。そのファッツを見つめ、エディが声をかけます。

ファッツに声をかけるエディ
Eddie: Fat man… you shoot a great game of pool.

エディを讃えるファッツ
Fats: So do you, Fast Eddie.

もう勝負することは無いであろう二人が互いの実力を認め合い、その事実を噛み締めて、二度と勝負できないことを心底悲しんでいるような、この会話。ぐっときます。このやり取りが無ければ、この物語には救いが無く、哀しい後味しか残らなかったと思います。

そして最後の演出も素晴らしい。エディとファッツ、互いに勝者のように毅然と振る舞う二人が去り、画面の中央には誰よりも力を持っているはずのバードが独り残されています。他の人々が気忙しく動き始める中、虚空を見つめるバードには、エディが残した言葉が深く突き刺さったかのように、微動だにできません。

何事も終わるまでは、諦めるまでは、勝ちも負けも決まったわけではないってことを、この物語は教えてくれます。
自分が劣勢な時は気合いを入れ直し、「あきらめたら、そこで試合終了ですよ」と自らを励まし、奮起する必要があります。たぶん、大抵の人はそうするでしょう。少なくともそうありたいと願うはず。でも、勝っているとき、自分の思い通りに物事が進んでいるときに、自分を省みることはなかなかできません。下手すれば「努力が報われた」などと自分を褒めたくもなります。それは本当に勝負が終わってからやればいいことで、勝負の途中でするものではないんですね。

一般的な社会人からすれば道を外しまくりな男たちですが、自分が選んだ道を信じて突き進む姿は、シンプルでかっこいいなと思います。

ところでこの物語、僕の周囲の女性にはあまり受けがよろしくありません。「いくら好きでもぶっ通しでビリヤードをし続ける意味が分からない。アホではないか。いや、アホである」というのが共通した意見でした。男子がアホなのは認めますが、この名勝負が「アホ」の一言で片付けられたのはショックです。

ハスラー

いつだってかっこいいポール・ニューマンですが、最もかっこいいポール・ニューマンを観られる作品のひとつです。

次の動画は実際のストレートプールの試合です。1966年の全米オープン決勝戦。2分30秒あたりでミネソタ・ファッツばりのスーパーショットが炸裂します。大舞台で実行する度胸と、それを実現する技術が素晴らしいですね。

参考サイト

What’s so bad about feeling good?

Update:

Text by pushman

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