天使の涙
理屈抜きの幸福感
『恋する惑星』の感想で「この物語を気に入った人は、『天使の涙』も是非観て欲しいです。それも可能ならば連続で」なんて書いたので実行してみました。
印象的な台詞やシーンは覚えていたものの、『恋する惑星』とは違い、話の筋をほとんど覚えていませんでした。でも、その理由は思い出しました。
役者のアドリブに任せるという監督お得意の演出方法もあって、イメージ先行で話が進む物語なので、話の筋を覚えてなくて当然。そもそもそんなかっちりしたものは無かったんです。クリストファー・ドイルの幻想的な映像もイメージを補強していて、いつ見てもほんにかっこいいし、気持ちいい。というわけで、話の筋なんてあってないようなものなのです。
でも、もちろんイメージだけの物語ではありません。『恋する惑星』と同じく、時代を経ても残る物語として必要ななにかは、この作品もちゃんと備えています。
この物語で一番心惹かれるのは金城武が演じる口がきけない「囚人番号233」こと、モウ(役名は『恋する惑星』と同じ)の存在です。正直『恋する惑星』の金城武は「もっさいな」という印象で、失礼ながら振られて当然だと思いました。でも、このモウには不思議な魅力があります。
閉店後の店を勝手に開店して働いたり、ビデオカメラを持っては父親の日常を撮影しまくったり、欲求のままに行動しまくるのですが、ほんとに楽しそうにしているので、見ているとつられて楽しくなってきます。やってることはほとんど犯罪なんですけどね。
多くの人がモウの店で被害に遭うのですが、繰り返し被害にあってしまう髭の男との会話やりとりはコントみたいで何度も観ても笑えます。モウのお父さんが自分が撮られた映像をこっそり見て、さらにそれをモウがこっそり見ているシーンは泣き笑いしそうになります。
モウの考えていることはナレーションで伝えられますが、台詞と微妙にずれた表情になる時があって、でもそこに違和感を覚えるのではなく、ぐっとくるんですよね。
言葉で感情を伝えられないこともあって、誰かに自分の気持ちを伝えることの難しさを誰よりも理解しているモウは、豊かな表情を作って意思疎通を試みます。でも、ほとんどの場合正確に伝わりません。
ところが、肌を触れ合わせた相手にはただそれだけで気持ちが伝わっているように見えます。特に孤独な女と夜の街を彷徨う幻想的なシーンでは、二人の間に何かが正しく伝わり、心が通い合う予感に満ちています。この予感が理屈抜きの不思議な幸福感を生み出しているのかなと思いました。
実際にこの予感が現実になるような、とても幸運な一瞬はやってこないかもしれません。現実は、素敵なラストシーンに至るまでに繰り返される、出会いと別れしか起きないのかもしれません。でもこの物語を観ると、「いい作品を観たな」と心と身体が軽くなり、「忘れっちまえ! つまらない現実は!」とむやみに元気が出てきます。
何回観ても何に感動しているのかよくわからないのですが、微笑みながら幸福感に満たされるならそれだけで十分だなと思える、素敵な物語です。
天使の涙
なにがどう良かったのか言語化するのが大変難しいので、おすすめしたいのに大変おすすめしにくい物語です。