僕のニューヨークライフ
いつもと同じように楽しめる中のひっかかり

僕はウディ・アレン大好きっ子なんですが、最近の作品は、安心して見れる反面あまり心に残らず、誰かにお勧めはできないなぁ、といった感じの物語ばかりだったと思います。僕みたいにもう好きになってしまっていたら外すことはないんですが、今までウディ・アレンの作品、作風を好きではなかった人には、特になんの印象も与えないなと。実際「おもしろいなぁ」「巧いなぁ」とは思うんですが、取り立ててなにか褒めるところもないような……。特に「メリンダとメリンダ」なんて観ている間は結構楽しんでいたのに、今では全く内容を思い出せません。それでも好きなんですけどね。ただ、最近の作品は所有欲が湧かないのは確かです。

『僕のニューヨークライフ』チラシ

そんなわけで、新作「僕のニューヨークライフ」は楽しみにしていましたが、特に期待はしていませんでした。自ら「うまい」というように、今回もキャスティングはばっちりです。
クリスティーナ・リッチ演じるアマンダ。いいです。えらいかわいかったです。まあ相変わらずの体形でしたが(笑)。
ジェイソン・ビッグス演じる若き日のアルヴィ・シンガーみたいなジェリーもいいですね。
二人がレコードショップで愛を確かめ合うシーンは70歳の爺さんが考えたシーンとは思えません。いいですね。僕までアマンダに恋しそうになりました。

ただ作品自体の感想は最近の他作品と同様、「おもしろいなぁ」「巧いなぁ」といった感じでした。ラストシーンはあざといですが見事です。「人生なんてそんなもんだ」という説得力に満ちています。ただ、なんというか妙な胸騒ぎというか、なにか大切なことを受け取り損ねたようなひっかかりが残りました。久しぶりにパンフレットを買ってみると、その理由がわかりました。

ウディ・アレンを大好きで、ずっと観てきて、なんでこんなことに気がつかなかったのか……相当猛烈悔しい。この物語、過去の代表作にそっくりです。では、僕のひっかかりは「過去に観たことがある」という既視感だったのか? そうじゃないんです。もちろんそれもあって、そのことは(珍しく)パンフレットが見事に解決してくれました。
僕がなんとなく落ち着かなかったのは、ウディ・アレン演ずるドーベルの様々なセリフです。

執拗なナチス批判や、力をもって自己を守ること。そういうわかりやすい主張を上質のジョークとして使ってきたのがウディ・アレンです。自分で言うのもなんですが、ウディ・アレンのジョークで笑うことは、ちょっと気分いいわけです。「うんうん、わかるよ。僕はいろんな示唆にみちた上質のジョークを理解できますよ」といった鼻持ちならない嫌みったらしい感じです(笑)。そんなふうに披露されていたウディ・アレン独特のジョークが今までとは明らかに違う語られ方をしています。

明確に語られはしませんが、物語は9・11テロを明らかに意識しており、ドーベルのセリフはあの時アメリカが覆っていたであろう雰囲気を代弁しています。「もし強盗に襲われたら」という理由でロシアのライフルをバーゲンで買ったり、サバイバルグッズをため込んだり。備えあれば憂い無し、というのは確かに有効な行為かもしれませんが、このドーベルは度を超えた備えを求め、そしてまたその被害妄想を拡大させていきます。それはウディ・アレンがジョークのネタにしていた世界なはずです。「現実が物語を越えた」とき、ウディ・アレンのジョークもジョークにならなくなってしまった。少なくとも「鼻持ちならない嫌みったらしい」笑いは生まれません。

徹底的に自分の意志、そして自分自身を大事にすることを説くドーベルは、今までのウディ・アレン像をぶち壊す行動を起こします。
チンピラにコケにされて一度は引き下がるドーベル。今までなら「筋肉野郎にはウィットで勝負」していたウディ・アレンが、暴力行為に走ります。その姿は滑稽に描かれているのですが、僕は笑えませんでした。ドーベルはその後も過剰な備えを持つが故に、やっかいなトラブルに巻き込まれます(実際にあったことかはぼかされますが)。そのトラブルの相手は警察という権力。権力なんてウディ・アレンにはジョークのネタでしかなかったのに、実際に闘うわけです。

今までのウディ・アレンの作品と構造は似ているのに、語り口が明らかに違う。アメリカの政策を肯定しているとも取られかねないセリフもありますが、それはもちろんウディ・アレンの皮肉です。
2002年9月7日の朝日新聞夕刊に「ウディ・アレン氏 9・11を語る」という小さなインタビュー記事がありました。そこで彼は、テロから1年後の9月11日をどう過ごすか尋ねられて答えます。

間違いなく自宅にいる。

…中略…

すべてふだん通り。起きて仕事して、クラリネットを練習し、友人と夕食に出かけて……。11日、死者に祈ることは、しない。ぼくは祈る人間じゃない。家族や知人を亡くした人の気持ちを深く深く察する。痛ましいことだ。でも、ぼくは祈らない。

2002年09月07日 朝日新聞夕刊

全くマッチョに見えないウディ・アレンですが、すごく強いなぁと感じます。今の奥さんとの大スキャンダルが発覚した時ですら変わらず作品を撮り続けたことからも、その心の強さは感じますが、このコメントには確固たる信念の元に自分の行動を決定しているという、誇りが感じられます。

もう70歳になったウディ・アレンは、愛してやまないニューヨークを出てロンドンに拠点を移したそうです。自分の語るべき物語を探求し、それを作品にするためでしょう。その姿勢はこの物語でも十分感じられます。ぼくが感じた「ひっかかり」は、どこかで変わらないことを望んでいたウディ・アレンに、大きな変化を感じたからかもしれません。ロンドン発の物語が、本当に楽しみです。

僕のニューヨークライフ

歴史に残る物語ではないし、時間に耐えうることもできない物語だと思いますが、ウディ・アレン史の中では結構重要な作品になる気がします。

Update:

映画

Text by pushman