へルタースケルター
一人の女の子の落ち方の描き方

最近ドーンと岡崎京子さんの作品にはまっているわけですが、もっとも気持ちをざわつかせてくれた作品は、もう間違いなく『ヘルタースケルター』です。読んでいる間、そして読み終わった後、誰かに隠し事をしている時のような腰の落ち着かない感覚がなかなか消えず、本当に疲れました。

もとのままのもんは骨と目ん玉と髪と耳とアソコぐらいなもんでね
あとは全部つくりもんなのさ

『ヘルタースケルター』

漫画でここまで気持ちをざわつかされたのは、本当に久しぶりです。読んでいる間、「読み進めたくないなぁ」と何度も思いました。そして、読んだ後自分が暗く深い穴に落とされたような寂しくて哀しい気分になりました。具体的になにが寂しいのか、哀しいのかわからず、考えてもいろんな思念が渦巻くだけでなにもわかりませんでした。

僕はブログを始めてから、本や映画の見方が少し変りました。読んでいる最中に自分がなにかを感じた所を、以前よりはっきりと意識するようになったんですね。でも、本当に心からのめり込んでいる場合、そんなことする余裕は当然ありませんし、もっといえば読んでいる自覚も無くなってしまいます。もうその作品世界に完全に入り込んでしまうときがあります。だから電車を降りそびれたりしちゃうわけです。この『ヘルタースケルター』もそんな作品のひとつです。今だって確認しようとパラパラページをめくるとあっという間に読み込んでしまったほどです。

最も心を揺さぶられた言葉は、帯の裏に書いてある岡崎京子さんのこの言葉でした。

いつも一人の女の子のことを書こうと思っている。

いつも。たった一人の。一人ぼっちの。

一人の女の子の落ちかたというものを。

『ヘルタースケルター』

こんなことを僕が言ったところでだからどうなんだって感じですが、この目標はほぼ達成されていると思います。グルーチョ・マルクスの有名なジョークも引用されています。

I would never wanna belong to any club that would have someone like me for a member.

Groucho Marx

この気持ちは僕もずっと抱いています。ちなみに僕が初めてこのジョークを知ったのは、『アニー・ホール』でした。僕はウディ・アレンとその作品がたまらなく好きなので、こういうシンクロはとても嬉しいです。多分このジョークが引用されていたからだと思いますが、読み終わった時に『アニー・ホール』の出だしのジョークも頭に浮かびました。

There’s an old joke. Uh, two elderly women are at a Catskills mountain resort, and one of ’em says,
“Boy, the food at this place is really terrible.”
The other one says,
“Yeah, I know, and such small portions.”
Well, that’s essentially how I feel about life. Full of loneliness and misery and suffering and unhappiness, and it’s all over much too quickly.

「アニー・ホール」

多分おそらく、この通りなんだろうなと思います。でも、このジョークが真実を語っているとしても、幸せになることを望んで過ごしたいと思います。

2004年09月13日(月)

読書 /

Text by pushman