へルタースケルター
一人の女の子の壮絶な落ち方
最近ドーンと岡崎京子さんの作品にはまっているわけですが、もっとも気持ちをざわつかせてくれた作品は、もう間違いなく『ヘルタースケルター』です。読んでいる間、そして読み終わった後、誰かに隠し事をしている時のような腰の落ち着かない感覚がなかなか消えず、本当に疲れました。
漫画でここまで気持ちをざわつかされたのは、本当に久しぶりです。読んでいる間、「読み進めたくないなぁ」と何度も思いました。そして、読んだ後自分が暗く深い穴に落とされたような寂しくて哀しい気分になりました。具体的になにが寂しいのか、哀しいのかわからず、考えてもいろんな思念が渦巻くだけで、すぐにはわかりませんでした。
僕はブログを始めてから、本や映画の見方が少し変りました。読んでいる最中に自分がなにかを感じた所を、以前よりはっきりと意識するようになったんですね。でも、本当に心からのめり込んでいる場合、そんなことする余裕は当然ありませんし、もっといえば読んでいる自覚も無くなり、作品の世界に完全に入り込んでしまいます。 『ヘルタースケルター』もそんな作品のひとつなわけですが、ほとんどの場合、その体験は喜ばしい幸せなことです。でも、『ヘルタースケルター』の場合は引き込まれたというよりも、現実がこういう世界なんだと突きつけられた気がして、哀しい気分になったのかもしれません。
最も心を揺さぶられた言葉は、帯の裏に書いてある岡崎京子さんのこの言葉でした。
いつも一人の女の子のことを書こうと思っている。
いつも。たった一人の。一人ぼっちの。
一人の女の子の落ちかたというものを。
『ヘルタースケルター』
こんなことを僕が言ったところでなんなんだって感じですが、この目標はほぼ達成されていると思います。
物語の主人公りりこは、自らの幸福を求め続け、なりふり構わず生きて、落ちていきます。悲壮感にまみれて自分と周囲を欺き、傷つけ、熱烈な幸福を望みながら、決して幸福が手に入らないこともわかっている。
なんとも言えず、辛いです。
発表されてから随分時間が経っていますが、いつの時代も強く深く刺さる物語だと思います。
へルタースケルター
この物語を読むには、気力と体力が必要です。