ふくちんれでい
コミカルで切なく優しい物語
色川武大と阿佐田哲也。どちらが好きかと聞かれたら、迷わず阿佐田哲也と答えます。僕は色川作品をなかなか楽しく読めず、阿佐田作品ばかりを片っ端から読んでいました。しかし先日、ふと色川作品を読みたくなり、「ちくま日本文学全集(色川武大)」をパラパラめくっていると、あっという間にその世界にのめり込んでしまいました。歳を重ねて感じるようになれる事もあるんですねぇ……そして、出会いのタイミングって、人であれ物語であれ、とても重要なんだなと最近強く思います。
「没頭できる物語はおもしろい物語である」と思いますが、その逆は成り立たないこともあります。「おもしろいな」と思っても、どこか距離を感じてしまう物語が確実にあります。この全集には全部で17の短編が収録されていますが、おもしろくても没頭しない、できない作品がいくつかありました。そのせいか没頭した作品は、読んでいる途中で「これはもう絶対に好きになる作品だな」ということがありありと分かりました。そんな作品の中で一番素晴らしい、とは言いませんが、なんだかじわじわと猛烈好きになってしまったのが「ふくちんれでい」です。
物語は、作者が高座から観客に語りかける様な雰囲気で始まります。色川さんがあの渋い声のまんま、軽妙に自身の経験したことを、少し照れながら話してくれます。おかげでいきなり物語との距離が縮まります。聴いているこちらは、ただただにこにこして話の続きを待っているようなもので、とてもいいペースで物語を読み進めることができます。
噺の枕として、色川さん自身が過去に恋した女性たちにとった滑稽な行動や、恋した女性と「触れあった」時に感じる虚無感に近い感情などを交え、「恋の魅力」「味のある時間」について考察されます。その結論は「恋は忍んでいる間が一番いい」。はっきり言ってその意見には全面的に賛成しますが、そうと分かっていても忍び続けられないのが男、いや男の子なわけですね。
色川さん行きつけの食堂では、そこに居ると周囲を明るくする「ひとみ」という人気の女の子が働いています。ひとみに惚れた男からその魅力を語られ、色川さん自身も少しずつ彼女に興味を持ち始めます。できることなら、恋は「忍びっぱなしがいい」と言いながら、結局色川さんも忍び続けられません。ひとみに魅かれ始めた色川さんは、半端者として生きていたためか、強引に彼女のとの距離を縮めにかかり、見事に返り討ちにあいます。ここの描写が個人的にとても好きです。
私は冗談に、ひとみの手をひっぱって、キスしようとしたのですが、
ふくちんれでい—ちくま日本文学全集「色川武大」
「なにすんのよ——!」
バシッ、殴られまして、痛いというほどでじゃないが、彼女の掌の勢いに仮借がなかった、そのことが胸にこたえて、アメリカ兵みたいに両手をひろげて立往生で。
文中では否定されていますが、僕の見立てが正しければ、これが引き金となって、色川さんは恋に落ちています。とはいえ、ひとみは当然立腹して、絶交したような形で二人は別れます。そして、「ふくちんれでい」の本編が始まります。
阿佐田哲也と色川武大。同じ人なので当たり前なのかもしれませんが、物語の質は違えど、人間に対する優しい目線というか、全てを許容しようとする懐の深い眼差しは共通しています。登場人物の多くは、特別親しくなりたくはないけれど、できれば近くで行き着く先を見ていたくなる魅力的な人たちです。先に引用したくだりも、その出来事だけを見ると、チンピラがかわいい女の子に手を出し予想外の反撃を食らっただけです。そんな光景を実際に見たとしたら、女の子に同情し、男に対しては不快感しか抱かないでしょう。でも色川さんの目線で見ると、男に同情はしないまでもその心の動きがありありと感じられ、男がなにか大切なものを失わずにすんだように見えます。ひょっとすると、その大切なものはひとみによって与えられたのかもしれません。
こんな風に、出来事の表層だけでは伝わらないことが、色川さんの眼差しを通して語られると、ふっとそこに表れます。それらは決して強くアピールされず、ただそこに存在することを示唆するだけです。この姿勢は、色川武大であれ、阿佐田哲也であれ一貫していると思います。
この物語は色川さんの体験談として語られていますが、おそらく100%フィクションでしょう。読んでいる間は単純にエッセイみたいなものだろうと思って読んでいましたが、こんな事が実際に色川さんの身に起こっていたら、立派な伝説として語り継がれているはずです(笑)。それぐらい大きな出来事が物語の中で起きるのですが、そのシリアスな出来事にどこか滑稽に対処し、滑稽な会話を真剣に交わす二人から、どれだけ珍妙な人生でも、それぞれのやり方で真剣に生きているということが分かって、温かい何かがじわーっと心の奥底に浸透していく感覚がありました。人生の深淵に迫るような物語ではありませんが、コミカルで微笑ましいのに、そこはかとない切なさに満ちていて、人が優しくなるための滋養をたっぷり含んでいる物語だと思います。