人生の救いの無さを描き過ぎ

粗野で乱暴な旅芸人ザンパノ(アンソニー・クイン)と、頭は弱いけれど純粋な心を持つジェルソミーナ(ジュリエッタ・マシーナ)の物語。初めて観た時はひたすら哀しくて救いが無い物語だと思いました。それが人生の本質なんだと思えました。感動した、というよりも、感動させられた、という感じ。

久しぶりに観直すと、物語全体からほんのり説教臭さを感じました。具体的にどのシーンとは指摘できないんですが。ザンパノが素晴らしい人間、男ではないことは確かですが、あまり哀れに描かれているというか……。とにかく、ある種のメッセージを押し付けられている感があって、「いや、そりゃおっしゃることはわかりますが……」といいいたくなりました(笑)。

でも、その説教臭さもあることきっかけにジェルソミーナが壊れてしまうところで、嘘のように消えてしまいました。それまでの「伝えたいメッセージがあって創られた物語」という感じから、「物語がまずあって、そこからメッセージが浮き彫りになってくる物語」になったような気がするんですね。

ザンパノの罪を背負ったかの様におかしくなってしまったジェルソミーナ。ザンパノはそんな姿を見ることに耐えられなくなりジェルソミーナを捨てる決意をします。でも、今までのザンパノらしくない優しい行動をとります。去り際に毛布をかけ、お金、そしてジェルソミーナが大好きなトランペットを置いて、去っていくザンパノ。自分が取り返しのつかない事をしている自覚はあるのに、それを止められず、少しでもその埋め合わせをしようとしている様は、観ていてとてもつらいです。

独りになってから数年後、ジェルソミーナが口ずさんでいたメロディを耳にするザンパノ。この時、驚きの表情の中に微かな希望が垣間見えるのですが、その希望はすぐに消え去ります。ここからラストシーンに至るアンソニー・クインは本当に素晴らしいです。

老け込んだザンパノが、自分の屈強な身体を使って芸を披露していますが、まったく自信が感じられず、とても見ていられません。持って行き場の無い哀しみと怒りを発散させようと、バーで酔いつぶれ大暴れしても、怒りは増すばかり。そこにはジェルソミーナと出会う前からザンパノがずっと抱えてきた哀しみや怒りも含まれているように思えます。そして、それを発散させる唯一の方法は、ラストシーンで示されます。とても、切ないです。

初めて観た時の救いの無さは、やはり今回も感じました。そして、僕が年を重ねた事によって、その救いの無さは以前よりもずっとリアルに感じられました。人生なんて基本的にうまくいかないもので、うまくいっている時はただ幸運に恵まれている、ということなんでしょう。生きれば生きる程、救いの無さは増えていくように感じる事もあります。

でも、それでも、僕は物語にはある種の救いを見いだしたいのです。だからこの物語は素晴らしいと思うし大好きですが、誰かに強くおすすめはすることができません。まあでも、一度も観たことが無い人は、救いの無い人生をさらに少しだけ寂しいものにしている気もします(笑)。なので一度は観て欲しいです。そして、合わせてウディ・アレンの「ギター弾きの恋」も観て欲しいです。同じような、というかほぼ同じ流れの物語なのですが、フェデリコ・フェリーニを敬愛するウディ・アレンは、人生は滑稽で残酷だけれど、時には少しばかりの救いがあり、その少しの救いが訪れる希望を持つ価値があると思うよ、と笑いを交えて教えてくれます。

何回も観るべきだとは思いませんが、一度は観るべき物語です。

What’s so bad about feeling good?

Update:

Text by pushman

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