七夕の国
じっくりおもしろさが染み渡る歴史ミステリー
『寄生獣』の巻末に記載されていたコピーこの物語には、恐怖と、怒りと、愛がある──。
これは『七夕の国』にも当てはまります。その対象は、「住んでいる土地(丸神の里)」と「祖先」。つまり、自分自身のルーツです。
僕は住んでいる土地や家に愛着のようなものをあまり感じません。そりゃ心が穏やかになるような風景に囲まれていたり、部屋を自分好みにこつこつ改造したりすれば愛着もわきますが、それでもそこに自分の行動を抑制されてはたまらない、というのが僕の基本的な考えです。だから、丸神の里の人たちが自分を押さえてまで土地を守ろうとする気持ちが、最初はわかりませんでした。土地に対する「愛着」だけで自分のやりたいこともできないなんて、納得できなかったのです。
でも、何度か読むうちに、里への愛着だけではなく、「恐怖」を持ち合わせていることに気がつきました。人が何かに縛られるとき、「愛」と「恐怖」が重要な要素だとやっと気がつけたわけです。それがなんであれ、愛するものを恐れる気持ちがあるからこそ、人は愛に縛られてしまうんだなと。
考えてみれば、愛着なんてふとした事で失われてしまいます。僕も今まで、色々なものにのめり込んできましたが、今ではどこにいってしまったのかわからない情熱が多数あります。愛着なんてものは幻想なのではあるまいか、と言い訳したくなるここ最近ですが、反対に恐怖というものはなかなか消えてくれません。
僕は情けないことにびびりなのですが、未だにシャンプーをするときに目を瞑るのが怖いんです。目を開けて、そこに誰かいたら……と思ったが最後。もう目を開けられなくなります。もちろん今まで何かを見たことはありません。それでも何か、子どもの頃に想像してしまった「恐怖」というのは、消えないものです。
僕の場合はこのように他愛も無いことですが、丸神の里の人々が共通して見る(見てしまう)夢というのは、里の人々にとってはリアルな現実です。そのことを理解すると、この奇妙な里に住む人々の心理も少しはわかる気がします。
主人公の南丸くんは、幸いその恐怖を知らないので、多くの読者と同じように里の人々のがんじがらめの生活を理解できません。自分が使える能力で、「就職活動に役立たないか」「世界のゴミ問題を解決できないものか」と、一人で頭を使います。それはとても滑稽に見えますが、笑うことはできません。なんというか、それもとてもリアルなんですよね。自分の周りのことも解決できないのに、世界の事を案じてみたりすることが。
残念なのは物語のスケールが全4巻に収まっていないこと。溢れかえってます。4巻だけ駆け足で話が進むので、おそらくもっとゆっくりと話を進めていくつもりだったと思います。「いや、元々こういう展開だったよ」と言われても、僕としてはもっとじっくりと物語を描いて欲しかったですし、この先の物語も読みたかったです。
とはいえ、書かれていないものを読みたくなるのはおもしろい物語の条件の一つなので、やっぱりこれで完成しているのかもしれません。
七夕の国
もし主人公の外見が『寄生獣』の泉新一みたいだったら、もう少し人気が出たのではないかと思ったり。