七夕の国
じっくりおもしろさが染み渡る歴史ミステリー

久しぶりに読み直しましたが、読めば読むほどはまってしまう物語です。『寄生獣』を好きな人ならはまらないまでも、高確率で気に入るのではないでしょうか。
戦国時代の記録にも残らない小規模な合戦を冒頭に持ってきて、その戦闘の勝者の秘密を描く第一話から、僕は完全にのめり込んでしまいました。

設定は寄生獣に似ています。主人公はふつうの人間で、取り立てて優秀なわけではありません。ある日突然未知の力を手に入れ、その力のルーツに近づいていきます。普通の人間でありながら、普通の人とはまったく違う基準で動く人物が出てきたり、読めば読むほど物語の相似性を感じずにはいられません。寄生獣と違うのは、主人公が元々その能力を持っていて、物語の進行とともに覚醒していくところぐらいでしょうか。それだって、同じといえば同じです。だからといって、この物語が寄生獣の二番煎じであるなんて、僕はまったく思っていません。むしろ、4巻で終ってしまったことが、とても残念でなりません。おそらく余り人気がなかったために、岩明さんが描こうとしていたことを、ラスト近くでぎゅうっと圧縮せざるを得なかったのかなと。そこだけが寄生獣と正反対に思えます*1

この物語には、
恐怖と、
怒りと、
愛がある──。

『寄生獣』

これは『寄生獣』の巻末に記載されていたコピーですが、これは『七夕の国』にも当てはまります。その対象は「住んでいる土地(丸神の里)」「祖先」。つまり、自分自身のルーツです。僕は住んでいる土地や家に愛着のようなものをあまり感じません。そりゃきれいなところだったり、こつこつ自分好みの部屋にしていったら愛着もわきますが、それでもそこに自分の行動を抑制されてはたまらない、というのが僕の基本的な考えです。だから、丸神の里の人たちが自分を押さえてまで土地を守ろうとする気持ちが、最初はわかりませんでした。土地に対する「愛着」だけで自分のやりたいこともできないなんて、納得できなかったのです。でも、何度か読むうちに、里に対する愛着だけではなく、「恐怖」も持っていることに気がつきました。。人が何かに縛られるとき、「愛」と「恐怖」が重要な要素だとやっと気がつけたわけです。それがなんであれ、愛するものを恐れる気持ちがあるからこそ、人は愛に縛られてしまうんだなと。

考えてみれば、愛着なんてふとした事で失われてしまいます。僕も今まで、色々なものにのめり込んできましたが、今ではどこにいってしまったのかわからない情熱が多数あります。愛着なんてものは幻想なのではあるまいか、と言い訳したくなるここ最近ですが、反対に恐怖というものはなかなか消えてくれません。僕は情けないことにびびりなのでよくわかるのですが、未だにシャンプーをするときに目を瞑るのが怖いんです。目を開けて、そこに誰かいたら……と思ったが最後。もう目を開けられなくなります。もちろん今まで何かを見たことはありません。それでも何か、子どもの頃に想像してしまった「恐怖」というのは、消えないものです。

僕の場合はこのように他愛も無いことですが、丸神の里の人々が共通して見る(見てしまう)夢というのは、少なくとも里の人々には現実なのです。そのことがわかると、この奇妙な里に住む人々の心理も少しは理解できたのかな、と思います。主人公の南丸くんは、幸いその恐怖を知らないので、多くの読者と同じように里の人々のがんじがらめの生活を理解できません。自分が使える能力で、「就職活動に役立たないか」「世界のゴミ問題を解決できないものか」と、一人で頭を使います。それはとても滑稽に見えますが、笑うことはできません。なんというか、とてもリアルなんですよね。自分の周りのことも解決できないのに、世界の事を案じてみたりすることって。ここら辺も、寄生獣とテーマが近いなと思う所以です。

残念なのは物語のスケールが全4巻に収まっていないこと。溢れかえってます。おそらくもっとゆっくりと話を進めていくつもりだったと思います。4巻だけ駆け足で話が進むので。仮に元々そういう展開だったとしても、僕としてはその先の物語を読みたかったです。
とはいえ「書かれていないものを読みたくなる」、というのはおもしろい物語の条件の一つなので、やっぱりこの物語はおもしろいです。

1. 全10巻の寄生獣は、当初全3話の話だったそうです。ちょっと信じられないですけど。

読書 /

Text by pushman