2005-12-16 Fri
村上春樹、庄司薫に続いて、僕の人生を豊かにしてくれる作家に出会いました。猛烈にかっこいいペンネームの、阿佐田哲也です。初めて読んだのは「阿佐田哲也麻雀小説自選集」でしたが、その時感じた作品との親密さが、この「スイギン松ちゃん」収録の「ギャンブル党狼派」で決定的なものとなりました。
「スイギン松ちゃん」は、渡世にあるまじきふるまいをして、破門になったスイギンの松ちゃんと主人公の少し変わった友情の物語です。
賭博場の熱気に魅かれて渡世に入った松ちゃんは、破門にされたことで絶望し、軍隊に入る。激戦の地を渡り歩いた松ちゃんは運良く生き残り、そのせいで自分は桁違いの運を持っていると思い込んでいる。そんな松ちゃんとある雀荘で出会った主人公は、松ちゃんを利用し、だましながらも奇妙な親近感を抱く。二人は時にコンビ打ちをしたりもしますが、松ちゃんがヘタをうつと、主人公はコンビ打ちの最中でも容赦なく松ちゃんをカモにするし、松ちゃんの方もその所業を恨んでいるのに、町で出会うと悪態をつきながらもつるんでしまう。そしてまたカモられる…それでもやっぱりつるんでしまう。そして二人は、勝負をする度に確実に距離を縮めていきます。
あらすじだけ書いてみると、特にめずらしい物語ではないですが、似たような他の物語と違うのは、主人公と松ちゃんが、ほんとにどうしようもない人間だということです。博奕打ちだからではありませんよ、念のため。そういう典型的な物語は、二人は元々いい人で、今は仕方なくこんな生き方をしている、といった風な設定が多いですが、この二人は基本的にどうしようもない人間です。二人とも自分が生きていくために必死ですが、世間一般の労働には就きません。ただ単に博奕が好きだ、というわけでも無さそうですが、相当好きなことに変わりはなく、お金の使い先が衣食住と博奕にしか向けられていません。おまけに「色」と「住」には極力金を使わない方法を模索してますね。もうほとんど博奕を打ち続けるためだけに、博奕を打っているような、刹那的な生き方をしています。ただ、二人ともどこかでそういった生活を終らせなければならない、運命が終らせてしまう前に、自ら終らせる必要があることを、自覚している。そんな気がします。
何度か行われる勝負の描写が、乾いていながら猛烈な熱さで、たまらない心理描写の連続です。ギャンブルが好きなら、そのおもしろさは二乗されるでしょう。まあこれは阿佐田哲也小説共通のことなんですが、この物語の場合、心情的に松ちゃんをカモにできなくなっていく主人公の葛藤が、とても心に響きます。とはいえ最終的にはカモっちゃうんですけどね(笑)。そこら辺がなんかむちゃくちゃかっこいいです。松ちゃんとの最後の勝負は、金を稼ぐことよりも、勝負に勝ち続けることに魅せられている松ちゃんを主人公が見限り、プロの博徒としてきっちりと仕事をこなします。ただ、少しだけ自分を責めながら。
一年後、再開した二人が交わした言葉は、もうお互いを知り尽くして、信用はしていないけど信頼している、二人の男の会話です。博奕という人間の本性むき出しの場で培われた関係だからこそ、お互いに性根の部分を感じられるのかもしれません。
この物語の主人公のように、博奕で生きているような人間は、基本的に自由闊達に生きているように思われがちですが、やはり人間が生きていくうえで根源的に抱え込んでいるものは同じなんだな、と思います。まあ一部にはほんとに大事なものが欠けちゃっている人がいるのも、また事実ですけど。でも、社会一般では「はみ出し者」な主人公たちも、社会のルールは破っても、自分が決めたルールの鬱陶しさも感じながら、それでもそのルールは忠実に守って生きているんですね。自分の殻を破りながら、ルールは守るんです。これってなかなかできることではありませんよね。逆はいとも簡単にできますけど(笑)。こういうことはほんとにかっこいいと思います。僕が阿佐田哲也さんの小説に魅かれる理由の一つは、こういうところにありそうです。
最後に主人公が松ちゃんにかける言葉の温かさは、ただたんに「いい人」は絶対に思いつかない言葉ですね。
「二つに一つ、どちらか」
生きていくことは、常にこの選択の連続なんだと思います。
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