2006-05-25 Thu

にこにこできること

村上朝日堂、おもしろいですね。質問される方もなかなかユニークな人が多く、「ふんふん」と頷いてしまいます。そして、何といっても、読むとしばらくの間にこにこできる春樹さんの回答はいろんな示唆を含んでいて「いつか自分の役に立つ時が来るのではあるまいか」と感じさせてくれます。

読者と春樹さんのやりとりの他に、もう一つ楽しみなのが「ボストン便り」です。内容は春樹さんの近況報告。エッセイとも日記ともちょっと違う、ネットだから書ける文章なんでしょうね。

そのボストン便りの最新版*1に「ネットでの写真などの公開について」という短い文章が寄せられています。

最近は個人のブログやホームページが盛んになって、知らないうちにネットで僕の「どこかで撮影された」写真が行き交ったりしています。

ボストン便り

例えば友達が断りもなくネットに僕の画像を公開したら、僕はかなり気分を害するでしょう。誰だってそうだと思うんです。例えばテレビにでている人達だって、ファンから写真をお願いされたら嬉しいだろうし、感謝の気持ちもあるからこそ応じてくれているんですよね。まあイメージが大事だということもあるでしょうけれど。でもとにかく、なんの義務も無いのに一緒に写真に写ってくれたことは、とても個人的な行為だと思うのです。それをおおっぴらに公開することは、春樹さんが書かれているように「有名人だからしょうがない」ことだとは思えないんですよね。

でもなんといってもいちばん悲しいのは、こと写真に限らず、ほかの面においても、これまである程度好意的ににこにこと応じてこられたことが、だんだん応じられなくなってきたということですね。それは、理屈や言いぶんはともかく、我々の双方にとって幸福なことではないだろうと僕は思うのですが。

ボストン便り

こういう感覚ってなぜかわかります。無名人の僕でも。なんかこう裏を探ってしまう、もしくは裏があるのではないかと一瞬考えてしまう。いつからか、何かをする時にその負の側面を意識せずに行動できる事が少なくなってきたような気がするのです。

全てがネットのせいではありませんが、Blogが広まったことは確実に一つの要因ですね。少なくとも僕にとっては。いろいろな知識を得る機会も増えましたし、マスコミが伝えないことも知る機会が増えました。それはとてもありがたいことですが、個人の権利だけを大事にしすぎているような気がしないでもありません。だからといって、なにか規制をするべき、という意見に賛成もできません。原則的には自由な所であることが、ネットの最大の魅力だと思うからです。

じゃあどうすりゃいいの? となりますが、説明や理屈に頼るのではなく、ちょっと感覚的なところも大事にすべきではないかなと思うのです。理屈では間違っていなくても、それをする事によって不快になる人がいないかどうか、ちょっと考えることって、大事なことだと思います。

書いててグレート・ギャツビーの冒頭の文章を思い出しました。ああいう風に生きられたらなぁ、なんて思っているうちは、全然そう生きられていないんですけどね(笑)。

なんとことを、わーっと考えましたが、僕がそれをできているかと聞かれると、「その判断までは自信が持てません」といったところですね。何年か後に「あんなこと書かなきゃよかった」ってことは、いまのところ書いてはいないと思います。恥ずかしくって「ギャッ」っとなる記事は多々ありますが。

  1. *1 - 2005年5月25日現在

2006-05-25 Thu / Category - Column

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