エンド・オブ・ザ・ワールド
岡崎京子作品への入り口

僕は気に入った本や映画や音楽に巡り合うと、もうとにかくその人の作品を全て時系列に読みたく、見たく、聴きたくなってしまいます。村上春樹さんとか、庄司薫さんなんかはそれがもっとも顕著に現れた例です。刊行された順番を覚えて本屋に行き、ちゃんと奥付で発行年月日も確認して完璧な順番で読みたかったのです。ちなみにこのお二方のほとんどの作品は、ハードカバーと文庫判で持ってます。村上春樹さんにいたっては全作品にまで手を出してしまいました。アホです。

最近そこまでのめり込む作家さんにあうことも少なくて、ちょっと物足りない日々でした。でもついに出会ってしまいました、というか出会ってたんですね。一人はドン・ウィンズロウ。この人は結構前からはまってました。もう一人が岡崎京子さんです。残念ながら出版順には読めていないのですが、「何かを読んでは岡崎京子」というパターンになりつつあります。

『エンド・オブ・ザ・ワールド』単行本

はじめて岡崎京子さんの短編を読んだのですが、長編よりはいくぶん楽に読めました。長編が読みにくいとかそういうことではなく、長編はゆっくりと確実に「ぐりィーーッ」と読み手の心をえぐるような作品が多いのですが、この短編集はそういう感じは無かったです。でもちゃんと読み手の心の深い領域につっこんでくるのですが、「ぐりィーーッ」とではなく、「サクッ、サクッ、サクリ」とやられてしまった感があります。特に「ひまわり」なんて「サクーーー」っと一気に突き刺されて、抜かれてしばらく経ってから、「……あっれぇ?」という感じでイヤーな感触が残ります。

かと思えば、「乙女ちゃん」みたいにいろーんな意味で深ーいところまで連れて行ってくれる物語もあります。「ひまわり」よりもこっちの方が好きですが、残っているのは「ひまわり」なんですよね。不思議なものです。
表題作の「エンド・オブ・ザ・ワールド」は他の岡崎作品になれていると、おもしろいけどそれほど驚かないというか、心がねじ曲がる感覚はなかったです。「VAMP」もそうなんですが、なんていうかわりに息抜きというか、軽い気持ちというか……そんな印象を受けました。話はおもしろいし好きなんですが、「ほら、グサーーーっとやっちゃってください」というこちらの期待に応えるような作品ではなかったです。あまりなりたくない気持ちにどうしてなりたがるのか、自分でもよくわかりませんけれど。
「水の中の小さな太陽」は、『リバーズ・エッジ』から続いている、というか同じ地表にある作品のような印象ですね。

あまり気に入っていないみたいな感想を書いていますが、すごく気に入ってるんです、ほんとは。じゃあなんでこの短編集を素直に褒めないのかというと、それはですね、この後すぐに読んだ、『ヘルタースケルター』が相当猛烈に僕の心を「ぐりィーーッ、ぐりィーーッ、ぐりィーーッ」とえぐってしまったからだと思います。久しぶりに物語を読み終わったあと放心してしまいました。ちゃんと間隔を空けて読んでいればこの作品の感想もさらりと書けたと思うのですが、はっきり言って『ヘルタースケルター』を読んだあとではどうしても霞んでしまいます。

でもほんとこの短編集も素晴らしいですよ。Amazonのレビューにも書かれていますが、まだ岡崎京子さんの作品を読んでいない人は、この短編集から入ると間違った印象を持たないですみそうです。これを気に入った人は、他の作品も気に入ると思うし、これがだめなら他の作品もちょっと合わないのではないかと思います。

エンド・オブ・ザ・ワールド

岡崎京子さんに興味を持ったものの何から読もうか悩んでいる人には、この作品をおすすめします。

What’s so bad about feeling good?

Update:

Text by pushman

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