シザーハンズ
いつまでも楽しめるおとぎ話

高校生の時に、アルバイト先でちょっと変わった女の子と知り合いました。いろんな物事の好みも合う事が多く、そうでない場合は「なんで好きなん?」という疑問が生まれ、その子の意見を聞きたくなりました。まあ一言で言えば、馬が合った訳ですね。

ある日僕が好きな映画の話をしていて、その子に何が好きか尋ねた所、返ってきた答えが『シザーハンズ』でした。当時の僕も映画が好きでしたが、今とは楽しみ方が全然全く違いました。頭でっかちでした。『シザーハンズ』という映画は知っていましたが、おそらくはどこかで一瞬目にしたポスターだけで、「色白の悪魔的な存在がはさみで人を殺しまくるB級ホラー映画」と思い込み、観たい映画リストから除外していたのでした。

「それってB級映画やん」と鼻で笑った所、一瞬激怒の表情を浮かべた彼女でしたが、すぐに呆れた表情に変わり、僕にこの物語の素晴らしさを伝えようとはしませんでした。それから数年後、レンタルビデオ屋と映画館でアルバイトを掛け持ちし、映画への偏愛を深めていった僕は、この物語への誤解を解き、「軽いラブコメ要素を含んだちょっと不思議な物語」であろう……とあたりをつけて観たのですが、それも全然ちゃいましたね。この物語は、僕の偏った思考回路から生み出された想像なんて及びもつかない、素晴らしいおとぎ話でした。

『シザーハンズ』チラシ

「午前十時の映画祭」のおかげで大きなスクリーンで観ることができたのですが、涙腺が緩みがちなここ最近、多くの人とこの物語を観たのは間違いだったのかもしれません。落涙はなんとか防げたものの、もう視界が滲んで滲んで大変でした。

Wikipediaによるとティム・バートンに箸にも棒にもかからない程に下手な役者と評されたジョニー・デップですが、なんかその下手さが不完全な人造人間であるエドワードにぴたりとはまってますね。エドワードの表情はほんの少ししか変わりませんが、それでも話の流れからエドワードの喜怒哀楽はわかります。その不器用な演技が、道行く外国人に片言の日本語で質問された時のように、受け手が自然に理解しようと努力してしまう演技になっているのかもしれません。

エドワードが不完全な感情表現をする分、まわりの人間はいくらか誇張された演出をされています。特に近隣住人たちが初めてエドワードに接した時のはしゃぎっぷりと、手のひらを返してエドワードを避ける様子は、人間の滑稽な部分と醜い部分がとてもはっきりと描かれています。それらの可笑しかったり美しかったり素晴らしかったり残酷だったりする人々の行動は、観ている側を楽しい、優しい、哀しい気持ちにしてくれます。そして、自分の大切な人の幸せを願うという、とても素直で温かい気持ちを思い出させてくれます。

おとぎ話と言えども、小さい子どもにとってはちょっと怖かったり残酷な描写もあるかもしれません。でも子どもだからこそ、ティム・バートンが伝えたかったであろう人間の善き部分を、素直に感じることができるんじゃないかなと、大人になりきれない僕は推察します。
ラストで描かれるエドワードとキム(ウィノナ・ライダー)の絆は、男女の関係や人の心の深さや優しさなど、全部ひっくるめた人間の複雑さを、いろいろな想像をめぐらせながら感じることができるのではないでしょうか。

子どもには多くの大人が身につけたいと願うであろう優しさと強さを感じさせ、大人には子どもの屈託のない素朴な優しさと夢を思い出させてくれる、素晴らしいおとぎ話だと思います。

僕にこの物語をバカにされた女の子も、今では立派な母親です。初めて観た後すぐに謝罪し、どれだけ感動したかを伝えましたが、その時はさすがにえらい責められたことを憶えています。まあ自業自得ですね。

この物語の話を誰かとする時、過去に「B級映画」と決めつけていた後ろめたさからか、いかに素晴らしい物語であるかついつい熱弁してしまします。心のどこかで「あの時は本当にすみませんでした」という気持ちが拭いきれないようです。僕にとっては、何事も見た目や第一印象で決めつけてはいけない、という教訓めいた記憶を呼び覚ませてくれる点も、おとぎ話っぽいのです。

シザーハンズ

ロマンチックな内容で教訓めいたことも学べる、すてきなおとぎ話です。

参考サイト

What’s so bad about feeling good?

Update:

Text by pushman

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