スイギン松ちゃん
正しい選択がない人生

村上春樹、庄司薫に続いて、僕の人生を豊かにしてくれる作家に出会いました。ペンネームが猛烈にかっこいい、阿佐田哲也です。初めて読んだのは『阿佐田哲也麻雀小説自選集』でしたが、その時感じた作家と自分との親密さが、この「スイギン松ちゃん」収録の『ギャンブル党狼派』で決定的なものとなりました。

渡世人にあるまじき行為で破門になった松ちゃんは、ほとぼりを覚ますため軍に入隊。激戦地を傷ひとつ負わず生き抜いたことで、自分は桁違いの運を持っていると思い込む。博打の世界に戻って主人公と出会い、騙され、利用され、カモられても、なぜか主人公を恨みきれない松ちゃん。主人公も松ちゃんに奇妙な親近感を抱き、コロしきることはできない。二人は勝負する度に踏み込み合い、二人にしか理解できない関係が築かれていく——。

『ギャンブル党狼派』文庫本

あらすじを書いてみて、よくあるタイプの物語だと思いましたが、他の物語と違うのは主人公と松ちゃんがほんとにどうしようもない人間だということです。二人は元々いい人間で、今は仕方なくこんな生き方をしている、といった感じの設定はよくありますが、この二人は根本的にどうしようもない人間です。二人とも自分が生きていくために必死ですが、まともな仕事に就こうなんてことは考えもしません。博打で稼いでは博打を打ち、博打のために博打を打つ。そんな刹那的な生き方をしながら、二人とも心の片隅ではこの生き方を終らせなければならない、運命が終らせてしまう前に自ら終らせないといけない、と自覚している気はするんですよね。

何度か行われる勝負は乾いた猛烈な熱さで、たまらない心理描写の連続です。ただ熱いだけでなく、松ちゃんをカモにできなくなっていく主人公のウェットな葛藤が、とても心に響きます。とはいえ最終的にはカモっちゃうんですけどね。そこら辺がなんかむちゃくちゃかっこいいです。松ちゃんとの最後の勝負では金を稼ぐことより、勝負に勝ち続けることに魅せられている松ちゃんを主人公が見限り、プロの博徒としてきっちりと仕事をこなします。少しだけ自分を責めながら……。

一年後、再会した二人が交わす言葉から、お互いを知り尽くしたことが伝わります。信頼はしないけれど、互いを理解している二人の男の会話です。博奕という人間の本性むき出しの場で培われた関係だからこそ、お互いに性根の部分を感じとれるのかもしれません。

博奕で生きているような人間は自由闊達に生きているように思われがちですが、生きていくうえで根源的に抱え込んでいるものは誰だって同じだと思います。社会一般では「はみ出し者」な主人公たちも、社会のルールは躊躇せず無視しますが、自分達が決めた鬱陶しいルールは忠実に守って生きているんですね。自分の殻を破りながら、ルールは守るんです。これってなかなかできることではありません。逆は簡単そうですけど。僕が阿佐田哲也さんの小説に魅かれる理由の一つは、こういうところにありそうです。

最後に主人公が松ちゃんにかける言葉の温かさは、いい人には絶対に思いつかない言葉ですね。

「二つに一つ、どっちかにしろよ」

善人ではなくても、生きていくことは選択の連続です。

ギャンブル党狼派

What’s so bad about feeling good?

Update:

Text by pushman

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