坂の上の雲
突出した存在が許される時代

文庫本全8巻(実質7.5巻分)を3週間かけて読了しました。日露戦争前後の日本を舞台に活躍した、秋山真之、秋山好古、正岡子規の三人を主軸に、今よりもっと大変だった時代を日本人がどのようにして乗り越え、その結果どうなったかを、一定の距離を保ちつつとらえた、素晴らしい作品でした。

歴史には明るくないですが、この本を読むと今も昔も日本という国は危ういなぁと感じざるを得ません。日本に限ったことではないですが(ロシアの総司令官などはもっとひどい)、眼前の問題しか見ようとしない人々、自己保身(国が滅びるかどうかという問題のときでさえ)を最優先する人などが話をおもしろくしてくれます。ある程度史実に基づいているとすると、おもろがってる場合ちゃうんちゃうかと思ったりもしますが。ということで、この本の感想というよりも、読んでいて感じたことをつらつらと。

歴史本といえば、戦国時代や明治維新ものが圧倒的に人気があると思うのですが、それって庄司薫氏が『バクの飼主めざして』でいっている「宇宙人来襲待望衝動」ってやつと根っこは同じなのかなと思います。自分の夢や希望なんてものよりももっと大きな出来事のために「自分を犠牲にしたい」という思いは、自由になればなるほど高まるのかもしれません。今なんて何をやっても許されるような時代ですが、そんな時代に特にやりたいこともないとなると、自由という言葉が重くのし掛かり、しんどく感じている人も多いと思います。そんな人がこういう本を読むと、羨ましく思うことになると思います。まあ僕もそんな一人ですが(笑)。

この時代の人々は、進んで国を守るために軍隊に入ったのではなく、学費の安い軍の学校に行き、戦争に参加する羽目になったという人が意外と多かったみたいです。進んでお国のため、という人よりも、やはり自分のことを優先させた結果、国のためになったと。そういう風に流されたいと潜在的に願っている人は、今の時代少なくはないのではないかと思います。

国のため、みんなのため、という風に動けば世の中良くなりそうな気がしますが、虐げられている人がいればその上にあぐらをかいている人もいるわけで、全体の理想に向かって動く人たちは、一部の特権を握る人から当然煙たがられます。ある時代にはそういう人たちが絶対に必要なわけでですが、時代のために生み出されたわけではなく、そういう存在を時代が許さざるを得ない状況になっているからこそ世に出てくるような気がします。

大変博学な知人から聞いた話ですが、昔の農村では頭の良すぎる子どもはその村人の手で殺されることがあったそうです。僕が聞いた話はこんな感じでした。

ある村に立派な釣り鐘ができたのですが、あまりに大きくて運ぶことができない。村人が集まってどうやって吊るすか相談していると、ある子どもが「釣り鐘の周りに支柱となる4本の柱をしっかり立てて、釣り鐘をかけてから(まだ浮いていない)釣り鐘の下の地面を掘ればいい」と提案しました。大人たちは自分たちよりも頭の切れるその子どもを恐れ、殺してしまいました。(うる憶えにつき創作あり)

自分たちよりも頭がいい子どもの存在に、いろんな危険を感じたということです。この話を聞いて、その時代の平均的な人間が自分たちよりも突出した人間の存在を許すことができるのは、自分たちの手に余る問題が山積されたときなのかなと思いました。……そうすると今の世の中ってそんなに大変ではないのかなと思ったり。よくわかりませんけど。

2004年03月06日(土)

読書

Text by pushman