アパートの鍵貸します
手放しで喜べないけれど、確かな幸せ

『アパートの鍵貸します』ぐらいの名作になると、映画を好きになったらいつか必ず観ることになる作品ですが、僕は学生時代にはまっていた国際ジャーナリストの著作で知りました。その方の考え方にどっぷり浸り、「豚は死ね!」と思って生きておりました。思い出すたび自分の厚顔無恥っぷりに赤面しつつ笑ってしまいますが、当時は大まじめでしたね。その反動か、今では「豚だっていいじゃない。人間だもの」という感じでいいかげんに生きています。

その方が薦めていたので観たわけですが、初めて見たときの感想は「確かにいいけど絶賛する程かな? シャーリー・マクレーンはかわいいけど」ってな感じでした。なにしろ「豚は死ね」と思っている人間ですから、ジャック・レモンの様な生き方がまず理解できないし、認めたくないのです。「ちゃんと自分の仕事をしろ! そんな生き方でシャーリ・マクレーンと……ずるいぞ!」と思いますよね。でも、どこかでジャック・レモンの生き方にも魅力を感じていた気がします。

そんな訳で好きな作品ではありましたが、その大部分はビリー・ワイルダーの演出や脚本の軽妙な雰囲気に対する感嘆の念であり、物語に深い思い入れはありませんでした。先日「午前十時の映画祭」のおかげで初めて劇場で観ることができたのですが、やはり大きなスクリーンで見ると気持ちが入り込みやすいのか、この物語をほんとに好きになりました。

『アパートの鍵貸します』DVDと『ビリー・ワイルダー DVD COLLECTION BOX』

それにしても出てくる男たちがほんとにひどい。上司の不倫のために自分の住まいをホテル代わりに提供するバクスター(ジャック・レモン)も情けないというか不甲斐ないですが、それを利用する上司も甲斐性無さ過ぎ。愛人を持つにはやはりそれなりのお金は必要だと思います。バクスターへの見返りは昇進させることなので、上司達の懐はまったく痛まないんです。まったく、なんとよくできた羨ましいシステムでしょう!
そして、バクスターが恋するフラン(シャーリー・マクレーン)が惚れているシェルドレイク(フレッド・マクマレイ)が本当にひどい。最初こそ渋い雰囲気ですが、途中からは男の僕でさえ「女をなんだと思ってんのよ!」と言いたくなるような言動ばかり。フランがなんでこんな男に惚れているのかさっぱり分かりません。まあ自分で「男を見る目が無い」と言ってますので、駄目な男に惚れていることは自覚しているんでしょうけれども。

このように、出てくる男達、特にバクスターの上司達はなんか小器用に生きていて、魅かれるものがありません。主人公のバクスターだって孤独を感じているものの、特に寂しがっている様子は無く、それなりに楽しく、というか楽に生きています。
このような人達の生き方が、鬱陶しい程のやる気しか持たなかった若造の心に響くことはあり得ません。でも、若造も歳とともに色々経験し、いつから「おっさん」と呼ばれるのかドキドキしながら生きるころになると、さすがに考えや感じることも変わります。

遮二無二努力をせずとも、それなりに幸せそうに生きている(様に見える)人っていますよね。昔はそんなもの断固として認めたくありませんでしたが、頑張ったら必ず報われるという世の中というのもなかなか窮屈そうです。最近は、のほほんと幸せそうに生きている人を知るとほっとするというか、なんか楽しい気分になります。もしほんとになんの努力もせず大金持ちになる人がいたら、「人生はほんとに不公平なものだけど、楽しいこともあるんだなぁ!」と、笑けます。そして納得できます。そういう人が実際に居ればいいなと思います。あまり身近な人ではない方が精神衛生上よさそうですが。

そんなわけで、今回はバクスターのお気楽な生き方に少し憧れ、フランへの思いの強さと不器用さが余計に切なく感じました。仕事の力を抜くよりも、恋愛感情の力を抜いた方がもっと楽になれるでしょうにね。

フランがシェルドレイクに恋しているのは間違いないですが、シェルドレイクにとってはただの遊びであることも間違いありません。フランに恋するバクスターはその事実を知りながら、フランと束の間の同居生活を送り、シェルドレイクの気持ちをなんとかフランに向けさせようと立ち回ります。一方のフランには、シェルドレイクの不誠実な態度を隠し続けます。そのくせフランとの同居生活を少しでも長引かせようとします。その様は滑稽ですが、ビリー・ワイルダーの素晴らしい演出とジャック・レモンの軽妙な演技のおかげ楽しく見れます。それがまたなんとも切ない。

バクスターの頑張りでフランとシェルドレイクはめでたく結ばれます。シェルドレイクは再びアパートの鍵を要求するのですが、バクスターは今までの生き方を覆す態度を取ります。そして、お気楽な生き方に別れを告げ、ささやかな、確かな幸福を手に入れる決意をします。人として猛烈かっこいいですが、はっきり言って自分の感情の限界に気が付くのが遅すぎです。その結果、いい歳したおっさんが家も仕事も失って、お先真っ暗です。とてもじゃないですが、明るい未来が待っているとは言えない状況です。でも、自分自身の幸せの大切さに気が付いたおかげで、相当猛烈素晴らしいものを失わずに済むことになります。

手放しに「良かったねぇ」とはとても言えない状況ですが、最悪ではない。そして、これから何か楽しいこともたくさん起きるに違いない、という予感に満ちた絶妙なエンディングは、公平だったり不公平だったりいろいろある人生の真理を、正確に描いていると思います。

アパートの鍵貸します

現代にこそ実際ありそうなお話な気がします。この物語のようなエンディングを迎えるのは難しそうですが。

What’s so bad about feeling good?

Update:

Text by pushman

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