アンネの日記
読まれるために書かれた日記

14〜15歳の女の子が書いた日記を読みました。なんて書いてしまうと猛烈な背徳感に襲われてしまいますが、おそらく世界一他人に読まれた日記なので、僕に特別な問題がある訳ではないと思います。実家の本棚にもあったと思うんですが、読みたいと思ったことはありませんでした。この日記が書かれた状況だけを知っていたので、軽い気持ちで手に取ることができなかったんですね。

僕が想像していた「アンネの日記」は、隠れ家でナチスに見つかる事を恐れながらひっそりと暮らす、暗くて悲しい家族のお話でした。隠れ家生活のつらさ。戦争、ナチスに対する憎悪。そして最後は、今にもナチスに発見されるのではないかという不安、そして実際に踏み込まれたときの絶望。そんなものまで書かれていると思っていました。よく考えるまでもなく、そんな状況は書ける訳ないのですが。そして、15歳の女の子が書いた“日記”であるということがその悲劇性を増し、「戦争はもう二度と、絶対に起こしてはいけない」と思わされる、そういう本だと思っていました。

でも、全然そんな話とちゃいますね。

アンネが伝える隠れ家生活は、閉塞感こそありますが(当然ですね)、悲壮感はあまりありません。アンネの精神状態が良くない時にはネガティブなことも書かれますが、置かれている状況を考えるとそれぐらいは当然だと思います。また、どんな内容の時でも欠かされる事の無い辛辣なユーモアのおかげで、気が滅入る事はありませんでした。戦争の悲惨さみたいなものもあまり前面には出てきません。とにかく“暗い”雰囲気を感じませんでした。アンネが傷ついたり悩んだりする事は、戦争そのものではなく、主に家族や同居人との関係です。戦況を伝えるラジオのことや食料不足に関する記述を除けば、僕たちが過ごしている日常とそう大差ありません。

この日記の内容は、将来の夢、家族との関係、恋愛感情など、いくつになっても手に余る悩みを抱え始めた女の子の“普通の日記”でした。他の日記とちょっと違うのは、読まれる事を望まれていた、ということです。

作家を夢見ていたアンネは、いつか自分の日記が出版されることを夢見て、人が読むものに耐えうる日記に書き直します。いつ終わるとも知れない暗い隠れ家生活は、自分の夢を実現する為に努力する日々にもなったわけです。そこに書かれているのは、自分が置かれている状況に対する恨み辛みではなく、読んでいる人に何かしらの良き反応を期待している文章です。

きつい現実をそのまま突きつけられると、人の心は簡単にざわつきますが、前向きな気持ちになるとは限りません。もし、アンネが置かれた悲惨な状況をそのまま描いたり、人の良心に直接訴えかけるような文章を書いていたら、こんなに多くの人々に長く読み続けられることは無かったと思います。きつい現実のなか悲観する事無く、日常のおかしみや楽しみに目を向けて少しでも良く在ろうと努力する15歳の女の子の姿勢が、読む人の心をちょっと前に向かせるのかなと思いました。

しかしまあ自分が15歳の頃を思い出してみると…こんな強さは絶対に持っていなかったですね。というか、あらゆる強さと無縁だったと思います。アンネの倍以上生きてきましたが、未だアンネの半分の強さも持っていないのではあるまいか。…てなことに気付いてしまうと心が折れそうになりますが、それこそ強さを持たない証し。でも、それを認めることができるのは、少し打たれ強くなったからなのでしょう。…と思う事にします。

このように、絶望の縁に居たアンネを支えていた「文章を書く」という行為は、のうのうと暮らしている僕のような人間も支えてくれている様です。

アンネの日記

What’s so bad about feeling good?

Update:

Text by pushman

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