世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド
心の深淵を覗いて見えるもの

休日に家でゆっくり村上春樹作品を読むのが、ささやかな幸せであったりします。『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』は何回も何回も読み返している作品ですが、今まで読んでいたものとはちょっと違います。
実は今、「村上春樹全作品」をこつこつと集めていて、『風の歌を聴け』から全作品シリーズで読み返しているのです。それでやっと4冊目まで到達。もちろん内容に変わりはない*1のですが、全作品シリーズの最大の特徴は、村上春樹本人が作品を解説していることです。村上春樹はあまり自作については語らない作家ですが、作品を創っていった背景や、当時の心境などをいつもながら丁寧に書いています。もうほとんどこれだけで 4,000円近い価値はあると思います。

『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』単行本と全集

かなり長い物語ですが、この作品は文字通りページをめくるたびに加速度的に引き込まれていきます。すっごいスロースターターですけど。
「世界の終わり」と「ハードボイルドワンダーランド」という二つの物語が交互に展開されていくわけですが、「世界の終わり」の方は腰が重く淡々と進んでいきますが、「ハードボイルド〜」が軽快に進むので疲れることはありません。
3分の1も読み進めば、2つの物語がすごい勢いで読者を引っ張っていくます。そのあまりの勢いに、初めて読んだとき降りる予定の駅を2つも行き過ぎてしまったほどです。ただ不注意なだけとも言えますが。

村上春樹の作品の主人公は「責任」という物にすごくこだわりを持っているように感じます。特に「世界の終わり」の「僕」はその責任を文字通り一人で背負う決心をします。KANが「MAN」という曲で歌っているように、男は傍から見れば滑稽に見えるとしても、ばかばかしいくらいにいつも責任をとりたがる、小さな生き物なのです。

初めて読んだとき物語全部を相当楽しんだものの、衝撃を受けたというほどではなかったです。若かったんですね。今ではこの物語、読み返すたびに衝撃を受けます。書き手である村上春樹も当時のレベルからすれば、「バーが一段半高かった」と書いていますが、どうやら読み手にとってもそんな作品のようです。……やっぱ歳とったのかな?

ところで村上作品に登場する女の子たちは相当魅力的な子が多く、しかも主人公は(傍から見れば)簡単にその子と寝ることになったりして、そこが非難されることがしばしばあります。
でも、僕は思うんですが、やっぱいいですよね、そういうの。ええそうです、男の馬鹿な願望です。でもそれだけでは決してない、とも思うのです。

この作品にもピンクの女の子と、図書館の女の子(「世界の〜」と「ハード〜」両方出てくる)が出てきますが、「ハード〜」の方に出てくる胃拡張の女の子(というか女性)とのシーンはとてもとても素敵です。なんてことない料理でも相当おいしそうに仕上げ、食べています。あーサンドイッチが食べたい。村上作品は食欲不振の方に大変お薦めです。
この物語に出てくる「爪切り」も魅力的です。どんな形状かまったくわかりませんが、とても素敵な爪切りだと確信出来ます。私見ですが、こんな感じでストーリーに直接関係なくても印象に残るシーンがある物語は、たいていおもしろいです。

ネタバレになるのであまり詳しく書きませんが、多くの小説の脇役の事を考えると、すごく気が滅入るときがあります。特にこの胃拡張の女の子の事を考えると、とてもとても切なくなります。それからどのように仕事をして、生きていっているんだろうと。でも女の人の方が猛烈に強いですからね。うまくやってるんでしょう。でもそれにしても、こんなに切ないことってそうはないと思います。

そこに出てくる全ての人物をきちんと描けている物語はずっと読み続けられる強さあると思います。リアルな人生と同じです。ちょっと想像力を働かせて、いろんな人の物語を見る。そうやって本当にしっかりと見ることができれば、自分の心の深部にも近づいていく事が出来るのかなと。「ハードボイルド〜」の「私」がどんどん地下に降りていく時のように、そこには想像も出来ない恐ろしい、おぞましい、不快なことが、本当にたくさんあるんでしょうけれど。

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(上)

世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド(下)

村上春樹全作品 1979~1989〈4〉 世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド

What’s so bad about feeling good?

Update:

Text by pushman

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